ヨーガ療法学会(2016)

分科会:薬物/アルコール依存症

アルコール・薬物依存症とその回復支援 ~DARCの実践~
加藤 武士
座長:福永和子

司会:加藤武士先生をご紹介させていただきます。実は今月の始め、東京の御茶ノ水にある中央大学の記念館で2日間にわたってダルクの回復支援についてのシンポジウムや講演が行なわれたんですけれども、加藤先生は他のダルクの代表の方々と共に中心となって行なっていらっしゃいました。この時の講演を聞かせていただいた療法士たちが、このお部屋にも居るんですけれども、ヨーガ療法士全員に聞いていただきたいというふうにすごく熱く大変感動しておりました。今日はこのように加藤先生にはるばる京都よりお越しいただいて講演をお伺い出来ることを心よりお待ちしておりました。ではここに加藤先生よりいただきました略歴を紹介させていただきます。
10代の頃にマリファナから始まり、あらゆる薬物を使い続け、窃盗や薬物の売買など犯罪に手を染め、その後は精神科病院の入退院を繰り返す。その後1992年、回復中の薬物依存症者と出会い、回復の道を歩み始める。その1年後の1993年、大阪ダルクの利用をはじめる。そしてその7年後2000年に大阪ダルクの職員となられました。2003年京都ダルクを設立。施設長となられました。そして2013年三重ダルク理事に就任され、木津川ダルクを設立。そして代表となって今日に至っていらっしゃいます。それでは加藤先生、講演をよろしくお願いいたします。

加藤武士先生: よろしくお願いいたします。緊張しております。どんなお話が出来るか、ちょっと自分自身不安でもあるんですが、私自身の依存症からの回復とダルクの職員となって支援してきた、その実践経験から、その薬物依存症の回復、アルコール依存症の回復、またその他、嗜癖といわれる、やばいというか、嗜癖行動、そういうものからの回復についてダルクが取り組んで来た、その経験を皆さんと共有出来ればなと思っております。
最初にですが、一つ動画を見ていただきたいと思います。非常に良くまとまっているので、私の説明よりこちらを見ていただいた方が良いのかなと思いまして、これをお持ちしました。ちょっと音声が皆さんに上手く聞いていただけるか分からないんですが、字幕が出るので、そこが大事なところなので読んでいただければと思います。
『ADDICTION:薬物中毒の原因は何か?変な質問かもしれない。そう 薬物が薬物中毒を起こすのだ。仕組みはこう。麻薬を20日間使用した場合。体はさらに麻薬を求めるようになる。体はさらに麻薬を求めるようになる。体はさらに麻薬を求めるようになる。それが中毒だ。いや、実は違う。中毒への正しい認識を持とう』
『in a nutshell: もしお尻を骨折したら入院して、モルヒネを数週間打たれる。モルヒネは麻薬だ。これは道端で買うものよりも強い。売人は薄めて売っているからだ。今も病院で人々は麻薬を打っている。中毒にはならないのか? 大丈夫、そうはならない。おばあちゃんも薬物中毒にならない。なぜだろう? 20世紀からの一連の実験により。中毒の理論は作られた。単純な実験だ。ネズミを檻に入れ水を2つ置く。普通の水とコカインを混ぜた水だ。するとネズミは麻薬入りの水を飲み。 やがて飲み過ぎて死んでしまう。しかし1970年代にある心理学者が。実験に疑問を持った。なぜ1匹で実験するのか? 孤独なのではないか? 違う条件ならどうなるのか? そこで彼はネズミの楽園を作った。 広い芝生におもちゃや遊び場。 友達も恋人も作れるようにした。ネズミの夢の国だ。そしてここに2つの水を置いた。 結果は違った。ネズミは普通の水を飲んだのだ。快楽の誘惑も中毒死もなかった。ネズミだけだろうか? 人間にも同様の事例がある。ベトナム戦争だ。当時米兵の20%が麻薬を使った。終戦後、国に中毒患者が溢れるのでは、という心配がなされていた。しかし追跡調査でそれは否定された。中毒にも病気にもならず95%が麻薬の使用を止めた。古い理論ではこれは説明出来ない。心理学者の理論なら説明出来る。異国の地で恐ろしい状況に置かれ緊張している時には麻薬が欲しくなる。だが、家族の元に戻ったとき、人は最初の檻から出て楽園へと入ったのだ。科学ではなく檻なのだ。中毒の認識を変えよう。人間には繋がりが必要だ。幸せとは人との繋がりの中にある。それができないと人は孤独を感じ別の安らぎとつながろうとする。延々とスマホを見たり動画を見たりゲーム掲示板またはコカインへ。そうすることが人間の本性なのだ。不健康な繋がりを断つには健康な繋がりを持つことだ。中毒は繋がりの危険を示す症状だ。現代もそうだ。アメリカ国民の親友の数は年々減っているという。一方で一部屋の広さの方は増えている。友情より部屋の広さが大事だろうか。1世紀に渡る麻薬戦争は今が最悪だ。人を助けるというより追い出している。一度麻薬に手を出した人は社会からより遠ざけられて文字通り檻に入れられる。孤独を感じる状況に置かれ、憎悪が向けられる。
中毒は個人の問題だと語られて来た。しかし現代においては。社会で語るべきだろう。
私たちは楽園を作る必要がある。孤独の檻は必要ない。人は互いに歩み寄ることで互いを再発見する。中毒の反対は正常ではない。中毒の反対は繋がりだ』
こういう映像なんですが、まさしくダルクはこの人との繋がりを再構築していくことをやってきました。実際、今年の6月からは本当に100年、200年に一度あるか無いかのような大きな法改正がなされて、薬物事犯者の方が刑務所にずっと送られて、それもどんどん重い罪になって来た流れがあったんですが、それを変更しました。この6月からは刑の一部執行猶予制度というものが始まりまして、薬物事犯者を長らく刑務所に入れておくのは止めておこうと、早く刑務所から出して、早く社会内で薬物を使わない生活を出来るような支援をして行こうという、そういう大きな法律の変更がなされました。まさしく、刑務所に入れても社会性を奪い、社会での人の繋がりを断ち切ってしまう。これは結果的にその人が薬物を使わずに生きて行く事を邪魔しているわけですね。それは法務省の統計学でもはっきりと出ています。二回目以降の受刑者にとっては刑務所に入ることが再発を高めることにしかならない。再発の予防にはなっていないということですね。ですから40代以上の人たちがすごい再犯を今、起こしています。また65歳以上になると80%の方が再犯を繰り返すような問題になっています。こういうことを社会内でどんなふうにして行くか、そこでダルクがやって来たことをご紹介しながら皆様にも私たちの経験を使っていただければなと思っています。
この依存症という病気はどんな病気か? 今も説明があったのですが、学術的にきちっとディペンデンスという定義があってDMS4とか、判定する基準等もあるんですが、私たちが言っている依存症・嗜癖というのは下のアディクションという言葉で表現しています。それは、例えば、すぐにそれに嵌まってしまうとか、頼り過ぎるとか、熱狂的な行動とか、そういうものも同じような部類に入ると思います。ですから例えば、熱狂的な阪神ファンなんかも、阪神アディクトというふうに言って良いでしょうし、例えば、何かしらコレクターも家中に何かしらおもちゃをコレクションしている人も、これもある種嗜癖やアディクションというふうに捉えても良いんだと思うのですね。もしくはオリンピック選手やプロのスポーツ選手、こういうのも何か一つに長けている、他のことは余りちょっと社会性や常識も知らないという人なんかも居るようですが、こういう方もある種依存している、嗜癖していると言っても良いかもしれません。それが悪いことなのかというと言うと、全然悪くないですね。オリンピック選手やスポーツ選手はそういう嵌まってそればかりやる行動を通して、人に夢を与えたり、希望を与えたり、楽しみを与えている。こういうものであれば社会は受け入れるんですが、これが薬物事象になると私自身の身体も壊すし、家族も傷つける。社会にとっても不利益にしかならないということで、これはダメだというふうになり、法律で禁止されて行くということになって行くわけですね。ですから、依存そのものが悪いことではないんです。私たちも今、この電気に依存した生活をしていますし、これなくては生きていけないわけですね。でも子供が母親のミルクを飲みながら育つ、これも依存しているわけですが、これなくては自立もないわけです。一時きちっと依存するというか、頼りになるそういうものがあることが逆に自立していく、安心感を持たせるんじゃないかなとも思っています。このアディクション、何かしら嵌まって、物との繋がりが人との繋がりが非常に不健康な片寄ったものになっている、これが問題になっているんじゃないかなと。ですから健康的な繋がり、そういうものをもう一度作っていくことが大事なことじゃないかなと。ですからこの病気というのは、薬物の問題は意思が弱いからだとか、道徳心がないから、そういうことではありません。その人の、今朝もちょっと遺伝子のお話がありましたけれども、複合的な要因があって一つは遺伝、それから環境、体質、こういうものなのですね。昨日もあったように何か一つの遺伝子がこの依存症にさせるのかというと、そういことはないのですね。ただ、なぜ遺伝しているのかというのを調べる方法がありまして、双子の子供、軽い依存症の元に生まれた双子の子供を健康な家族に預けられて育ったケースと、もう1人はアルコール依存症もしくは問題を持っているような家族に育てられた。こういうケースを探して大きく統計を取ったものがあるのですね。
その予後どうなっていったか。大人になった時にどちらの子供もアルコールや薬物依存症になるリスクが同じほどの数値であったということなんです。ということは健康な家族に育てられれば依存症にならないんじゃないかと思われていたわけですが、決してそうではなくて、その人の元々持っているものが、その依存症に依存的な行動し、行動させているということで、これは遺伝的なものが関与しているというふうに言われています。ただ、こういうものを持っているということを知れば、色々工夫も出来るし、回避もして行けるわけです。私の息子もまさしく依存症の元に生まれた子供ですが、幼い頃からそれなりに私自身の経験を通して、話せることを話してきました。ダルクで仕事をしていることも知っていますし、私が犯罪を犯したようなことも知っています。今17ですが、辛うじてタバコも吸わずに何とか真面目に、真面目にというのかな、それなりに自分の夢を持って学んでいる最中でちょっとほっとしています。
この病気、意志とか根性とかそういうものでは治らず、特徴的なものとしては他の慢性疾患と同じようなものであると思って下さい。糖尿病とか高血圧、こういうものと一緒ですね。糖質を摂り過ぎて糖尿病になる、一度なると、もう完治することはない。じゃ何グラム、生涯に何グラムの糖質を摂れば糖尿病になるかというと、それはそれぞれの体質によって違うわけですね。ある程度の目安はあるかもしれませんが、同じような量の糖質を摂っても、片一方は糖尿病になるし、片一方は糖尿病にならないのと同じように、依存症もそんな感じで、どれだけ薬を使ったから依存症になるとか、ならないとかということは言えません。ただ同じような経過は辿ります。悪くなって行くのも同じように時間的な幅はありますが悪くなって行きます。良くなって行くのも同じようなことすれば同じように良くなって行きますし、取り組む方法というのは一つシステムというか順番というようなものがあります。アルコール依存症の人は20代から飲んで40代後半ぐらいで発病なり治療に繋がるような方が多いとは思うのですが、これが覚醒剤や薬物になると15歳位に使い出して25歳位には医療機関や刑事施設等に繋がって、その問題と向き合わなければならないということになるわけですね。
ただ、この病気どんどんやればやるほど悪くなって行くわけですが、治らない、そのまま死に至るかというと、そうではありません。多くの方が、実際に亡くなって行くわけですが、私のように回復する者も居るわけです。それはダルクの統計からも死亡率が非常に高い。今ダルクの入所者の人にアンケートを取れば、半分位の方が自殺を考えたり、実際にそのような準備をしたり、何か自分はこのまま死んでしまうんじゃないか死にたいなと、そのいうことを考えている人が半分位は居るということです。また、この依存症ですがアルコールや薬物だけではなくて、プロセス、ギャンブルにはまる人、食べ過ぎたり全く食べなかったり、摂食の問題、摂食障害と言いますが、こういうものも同じようなものですし、僕は引きこもりも似たようなことかなと思っています。良くなるところも非常に似通っていまして、引きこもっていてもいいやと思ったとたんに何か外へ出て行けるようになるというか、出た以上きちっとやらなければいけないと思うと出ていけないわけですが、別に親のすねをかじりながらお金も有るし、これ食い潰すまで家に居てやれと思うと、結構、自由に、少し気楽に動けるようになったりして行くというふうなことを発達障害の方で引きこもっているグループをされている方がおしゃっていました。ああ、一緒だなと思った訳です。また自傷行為や盗み、性行動、こういうことも同じかなと。リストカットをする人や、また例えばピアスを沢山する人やタトゥーを入れる人、こういうものも自傷行為に近いものがあるんじゃないかなと思っています。盗みなんかは昔から盗癖と言いまして、盗み癖のようにだんだんエスカレートして行く、捕まるまで止められないって言われているように同じと思っていますし、性行動だと覗きとか、痴漢それから色んな性犯罪や性行動というのがあるんですが、セックスに嵌まるという、恋愛に嵌まるというのもありますし、こういうものも同じような嗜癖行動依存かなというふうに思っています。
そのプロセスは本当に皆さんそれぞれのプロセスによって違いますが、何か心理的なというか、取り組み方は同じものとなって来ます。それからだんだんそういうものが進行して行くと嘘つきになりますし、乱暴になりますし、自分勝手、怒り易い、また人を巻き込んで行くということですね。まさしく家族が当人の依存症の影響を受けてうつになったり、その家族自身が地域との繋がりが薄らいで行く、というのは家族が薬物依存になって薬物を使って仕事をしていないということになって行けば、家族自身が近所の人との会話がしにくくなるわけですね。息子さんが最近、家におられることが多いですけど、何していはるの。いや、家でずっと覚醒剤使ってるねん、困るわよって言えればいいんですが、やっぱり言えないわけですね。そうなると家族自身が地域との関係がだんだん疎遠になって行く。地域での色んなパートに出て行った人が辞めたり、地域のボランティア役割をしていたものも、そういったことから外れて行って自分の家族の問題だけに目が行ってしまう。これを何とかしなければというふうになって行って、その関係は共依存と言われるような、あまり良い関係ではなくて不健康な関係になって行きます。ただそういう中で家族が育って行くと、その人自身が薬物依存症になりますけど、その家族もさっき言ったように依存症になり易いわけです。それは健康な家庭で育っている子供たちの4~5倍依存症になるリスクが高いと言われています。
今、私たちが依存症になったというか、薬物を使い続けた80年代、バブルの頃と今の時代とは薬物を使う人たちのパーソナリティがちょっと違うような気がします。かつては80年代ですから、リゲインのような滋養強壮剤が売られて24時間戦えますかと働け、働け、働けば収入が増えるという、そういう時代でした。そういう時代には覚醒剤は非常に役に立ったわけですね。寝なくて済むし、非常にエネルギッシュになる。そういう中で実際使う人が多かったわけですが、今はどちらかというと将来に不安や希望を失って、引きこもっているような人たちが多いわけです。どうも社会と上手く馴染めないとか、社会の中でコミュニケーションが上手く行かないという人も多い。こういう人が気分障害やパーソナリティー障害、発達障害とか、こういうふうに言われるわけですけど、僕はこの辺りは社会がいう健康という幅が非常に狭くなって来ているんじゃないかなと。かつてはもっと人が社会に居る幅が広かったと思うんですね。それは僕たちの経験の中では例えば、パチンコ屋さんなんかも、住民票が無くても、小指が無くても、何処から来てもその日から住み込みでパチンコ屋で働けたわけです。それは一つ反社会的な世界から、一歩抜け出して行く、その通り道の中にそういう業態があって、そこから真面目にまた社会に戻って行くような、そういうものが沢山あったと思うんですね。それは旅館の仲居さんなんかも同じ布団の上げ下げとか、厨房のお手伝いさんとか、そういうものであったと思うし、色んな工場の作業を例えば、京都だと竹細工や色んな細工物の職人の手元として横に付いて色々と準備したりする人が、そういう知的障害、発達障害という傾向のある人たちがそういう中で職場を手にしていたと思うのですけれども、今はそういうものも無いわけですね。いつか清水寺の参道に八ツ橋を焼いているおばさんが居るんですけど、その人が発達障害とか、知的障害ということではないですよ。でもずっと同じこと焼いてはるんですね。小麦粉の粉を手作業で綺麗に並べて、全く同じように手作業で焼いておられるわけです。こういうことって比較的健康な人よりは、知的障害の人たちの方が逆に発達障害の人たちが長けて出来るというのかな、同じことを正確にやり続けるということなんかは長けていると思うので、そういう人たちが居る場所も減って来たような、そうすると何かしら別の繋がりを見付けないといけないということで、やっぱり薬物にたよる。その薬物も違法な薬物じゃなくて、いわゆる抗精神薬、医者が出す薬とか、薬局で売られている薬なんかに嵌まって行く人たちが増えて来ています。実際にダルクでもそういう人たちが増えて来ています。覚醒剤の人たちの割合というのは年々下がって来ています。今では7割か6割くらい、それ以下かもしんないですね。危険ドラッグとか、そういう物を使った人が半数以上おられますから、少し嵌まってしまう人のパーソナリティもちょっと違って来ているというふうに思います。
これは薬物依存になって行く進行の初期なんですが、最初は良く乱用防止では覚醒剤を使ったりすると、シンナーを使ったりすると丸も書けなくなるとか、色黒になって包丁を振り回すような、それが乱用者だというふうに教えられて来たと思うのですが、実際に初めて薬物を使う人が出会う薬物乱用者というのは多くの人が真っ当に仕事をして、それなりに楽しんでいる人たちが次の人を誘うわけです。それは学校の先輩であったり、彼氏であったり、恋人であったり、職場の同僚であったり、ちょっと身近で仲良くなった。そんな時に実は大麻があるんだけれども一緒にやってみないかというふうに誘われたりするわけですね。全く知らない人に、そんなに次から次から声をかけるというのは売る方としたら非常にリスクが高いことなんですね。ですからそんなことはしません。どちらかというと初めて使った人は、あっこれすごいと、なんか気分が大麻を吸うとリラックス出来て、ヨーガをやっているより、こちらの方が手っ取り早いなと、そんなふうに感じたりして、良いなと思うと、ねねって言って次の人にその秘密の共有をしたいわけですよ。こんなに良いのがあるのよ。1回だけやってみないと。そのしつこさというのは尋常じゃないですね。自分は良いわけですから、だから一生懸命勧めるわけです。それは例えば、今回遠くから埼玉に来られて、埼玉の何かしらお土産、おいしいものを見付けたり、埼玉の美味しいお酒を見付けた方も居るかもしれませんけれども、何かしらお土産を買って行きますよね。親しい人には、で、上げますよね。もしそれが気に入って美味しいと言われたら、また買って来るわねと、なるわけですよね。でも、最初は上げるけど、次からはお金を貰ったりしますよね。大麻も一緒、最初はただで上げます。でも次、頂戴と言われたら、これで5000円やから、払ってくれる。なんて言って払うようになって行くわけです。ですから、日常的に皆さんが聞かされて来た薬物の出会いとは全然違う、誘ってくれる人には断りにくい身近な関係から誘われるということですね。で1回使ってもそんな大変なことにはなりません。使ったことも忘れるくらい日常の生活に戻れますし、それが聞かされていたような恐ろしさも無いな、結構そんな大したことないじゃんと思うと、また使っても大丈夫かなと、使うわけです。そしてだんだん、だんだん使って行くようになって行くわけですね。ここが薬物の本当の恐ろしさだと思うのです。精神疾患、精神障害が出るとか、そういう末期的な恐ろしさというよりも最初の出会いの時に、何となくそんなとんでもないことにもならず、何かしら気持ち良さや心地よさを感じて、また使いだす。それがだんだん悪くなって行くということになります。
私も同じように機会があれば時々、大麻を吸い、夜の町に出て遊んで、そんな中でまた新しい薬物をまた覚えていくというふうになって行きました。そうすることで、それまで持っていた趣味や楽しみも事も少しずつ距離が出来て来て、人間関係も健康的な人間関係から薬物を使う人の方に徐々に移って行く、そういうふうになって行きました。もう進行して行くと薬物がなければどうにもならない。薬を使っていない時でも、薬を手に入れることやクスリを安く手に入れられないか、もっと違う薬物はないか、僕は図書館に混じって覚醒剤の作り方まで一生懸命調べて、勉強した事も有るんですが、大麻は栽培に成功して自宅で鉢植えで5株ほど栽培して成功しました。ただ花屋さんに行って肥料を買いに行っても、聞けないわけですね。何を育てておられるんですか、ちょっと観葉植物を、何ですかねあれって、言えずに何か買って帰って肥料を上げたりしながら育てたわけですが、だんだん楽しみ事は本当に家族もそっちのけ、仕事もそっちのけ、ただただクスリを使う時間、クスリを使うことばかり考えるようになって行くわけです。本当に自分がこれは不味いなと思った時には、健康的な人は周りには居ない。こういう状態になってしまいます。まして連絡を取っても良いような人についても、今更連絡は取れない。恥ずかしいという思いもありますし、自分でなんとかしなければならないというふうになって行くわけです。
こうなってしまうと、その人自身がクスリを止めたところで、何にも夢も希望も無いわけです。クスリを使っても楽しむことが出来ないし、クスリを止めても苦しいだけ。こうなってしまうわけです。その時に初めて薬物を止めている人たちとの新しい出会いや関係が非常に効果的に現われて来る部分ではないかなというふうに思います。
これまで病気かと言ってきましたが、またこれ病気なのという部分も有るわけですね。それは医者に通い続けても、入院しても、依存症が完治することもないし、それよりも地域や社会の中で何かしら出来ることをやっていくということですから、ちょっと病気とも言いにくいなというふうに私たちを思っているんですね。それ以上に私たち薬物によって問題を抱えた者たちなんだと、その問題の在り方というのは様々だと思うのですね。例えば、まだお酒を飲み出して間のない頃なんだけども、飲酒運転をして人を轢き殺してしまったと、このことを持って自分はもう断酒すると、そういう決意をした人にとっては、これは精神科の医療機関に掛かってアルコール判定をしても、決してアルコール依存症の診断は下りません。でもその人は止めたいし、止めて行く必要があるというか止めるべきだというふうに思うのですね。ですから、私たちにとっては、薬物によって問題を抱えた、薬物を使わずにいたいということであれば、たった10回しかアルコールを飲んでいなくて、その交通事故を起した人にとっても私たちの仲間だし、同じお酒を飲まずに生きて行く。
また、その薬物使用によって起きた出来事や薬物の裏に隠されている本当の問題を一緒に考え向き合って行くということをやっていく必要があるわけですね。それはちょっと心理学やカウンセリングともまた、違うものであると思うのです。それは、例えばカウンセリングや医療というのは、通い、幸せになるなり方とか、健康になるなり方、こういうものを教えてくれはする。ただじゃあ、その幸せが手に出来るのかといったらそれはまた別の問題になると思うのですね。それは例えば、携帯電話の使い方を一所懸命教えると、でその人は携帯電話の使い方が分かったと、どうして使うか分かったと、でも実際に電話を使って会話をする相手が居なければ、何にもならないわけですよね。実際にこういう依存症になった人たちが求めているのは、この話相手であり、一緒に食事をしたりする相手、日常平凡な暮らしの中にある、そのものを求めているわけですね。ですから依存症からの回復の仕方をどれだけレクチャーしても、一緒に止めている1日を共有して、分かち合ったり楽しんだり出来なければ、あまり効果がない。またそれは、最初に行かせてしまうだけということになると思うのです。
私は24歳の時に初めて精神病院に入って、それから3年間、15回くらい入退院を繰り返して精神障害2級の手帳を持って生活保護を受けて生活をしていました。その時に病院の患者にも覚醒剤を渡したり、病院の薬を盗んだり、色んなトラブルを引き起こして、病院から出て行ってくれということになった時に、あなたのやるべき場所、居場所、取り組む場所というのは、ここ病院じゃない、ダルクやAIAというやめ続けている人たちが集う、そういう場所に行きなさいということを言われて出会ったわけですが、本当に絶望的な状況でした。他に行くところがなかった、本当に人と話せる場所、人が居るというと精神病院ぐらいしかなかった状態ですから、そんな時に病院を失うというのは、自分の命も失いかねない。そんな時にダルクの人たちと出会ったわけですが、その人たちは薬物はやめろとか、駄目だとか、そんなことは言わないですね。大変やったやろとか、忙しいやろとか、まだ使いたいだろうとか、どんなん使って来たんや、大麻かとか、オウとか言って、俺まだそれ使ったことないんとか、そういう会話から、なんかちょっと今までと違ったような、安心出来るような人たち、そんな人たちでした。
そこでは今日だけ止めて行こうと、今日だけ使わずにやって行こうと、この先一生止めて行こうと決心をしたとたん、最後の一回だけ今日使おうと。こういう思考になって行くわけですね。ですから一生止めるなんて考えなくていい。今、今日一日使わずに今、出来ることを一緒にやろう。それくらいなら出来ますよと、でも一日止めてどうするんねん、明日使ったら一緒やないか。明日使って一緒なら今日使おうというふうになったり、混乱した中で日々を過ごしていたわけですけど、本当出来そうな、今日一日だけ止めようというそういう言葉に救われてやって来たわけです。
じゃあ何をするのかということですけど、この病気かどうかというところをさっきお話したんですけれども、一つ例えて言うならば、梅干の話しをちょっとしたいのですけども、今スーパーで売られている梅干というのは透明なパックに10個くらい、ちょっとピンク色が濃くなったようなそんな梅干が入っていると思うんですけども、昔はえんじ色のツボにしそを入れて、漬けていますから真っ赤な汁の中に塩が吹くような、中に大きな真っ赤な梅干があったと思うのですね。そんな梅干を食べた方おられますよね。高校とかに行くと梅干を知らん人が多いので、レモンの話しをするんですけど、ここなら梅干の話しをしても良いかなと、そのひたひたになった梅干を、ちょっと一つ摘まんで口の中に入れてもらう。酸っぱい梅干ですよ。唾が出て来たよと言う人は? 沢山おられますね。これ病気ですか? 違いますよね。これはごく当たり前の反応だと。これインドの人に梅干の話しをして唾は出ません。カレーの話しをすればすぐ出るわけですけども、このように梅干を使って食べて来た人は梅干の話しを突然されると唾がバッと出て来る。これと同じように大麻をずっと使い続けて来た人が例えば、大麻の話しや、大麻の映像を見せられると手に汗が出て来たり、心臓がドキドキしたり、体が反応を示すわけです。生理的に反応を示すようになっているわけです。僕は覚醒剤なんかを注射器で打っていましたから、インフルエンザの予防接種に行くと、周りに注射器が一杯あって、小さな注射器で針先がプッと水滴が針先から出ているのを見ると、もうおかしくなるわけですね。体が反応してしまう。
こういうものと日々向き合いながら毎日止め続けて行くことをしなければならないです。ですから、さっきも病気なのかなと疑いというか、そういうことからも言えるわけです。決してこれは病的な反応じゃなくて、人間本来持っている反応なわけですね。でも、これを何かインフルエンザに行って覚醒剤を使いたくなったと言ったら叱られるわけですよ。何を考えてるんやと、あれだけ刑務所から戻って来て、まだそんな事言ってるのか、といって怒られると、もう二度と言わなくなります。でも自分の中には覚醒剤のことが度々、思考の中に浮かんで来るわけですね。使ったらあかん、覚せい剤使ったらあかん、と思えば思うほどそれに囚われ続けて、最終的に使ってしまうということが起きるわけです。ですからこれは日々、日常の中で他の人にとっては何らたわいのないことが、薬物依存者が快復して行く中では色んなことが引き金になるわけです。薬物を使わそうという引き金になるわけです。それは薬物を使っていた頃に良く出入りしていたような環境、うす暗い夜の町、繁華街とかで、ネオンを見たりするだけで薬を使いたくなったり、もしかしてその時よく聞いていた音楽やリズム、そういったものとどこか日常の買い物の中でBGMで、その曲が流れて来るだけで、本人は気付いていなくても身体がどうも反応を示すということがあるわけですね。電車でいつも薬を買いに行っていたような人たちは電車に乗ると、その活動が湧き起こって来たりする。大阪だと御堂筋線という線と環状線という大きな線が有るのですが、天王寺西成という薬物のメッカのような所があるわけですけど、そこに向かう路線というのは薬物を使っていた人たちにとっては、非常に勇気のいる行動なんです。そこを本当に素面で通り過ごせるのか、動物園前とか、新今宮という駅なんですが、そこを降りずに通過することが大きな本当にエネルギーを使うことなんですね。日常的にこういうことを毎日やっているわけです。お酒の人はアルコールの自動販売機の前を素面で通り過ぎる、堺に寄らない、ギャンブルの人であればパチンコ屋の前を通り過ごすということがなかなかエネルギーのいることになるわけです。こういうことを毎日、仲間とシェアしながらやって行くわけですが、ダルクで何をやるかミーティングをやるわけですね。何人かが車座になって、今日もアルコールの自動販売機の前を素面で通るのが大変だったと、一旦は立ち止まって、ポケットに手を突っ込んだけど、やはりミーティングにやって来たと、こういうことをミーティングの中で話したり、シェアして行くわけです。
それぞれがそれぞれの経験、まだ初めて繋がった人たちはそれこそ色んな引き金と向き合いながら苦しんでいる、でも6ヵ月、1年止め続けている人たちは、その工夫をどうやってそういうものから距離を取って来たのか、例えば、駅まで行く道をパチンコ屋や自動販売機の無いルートを見付けて、そこをちょっと遠回りになるけど歩くようにする。そうすると見なくて済むので、その活動というのは起きにくいわけですね。そんな工夫をして何とか出来たし、また他のことにも関心が出て来たので、それほど因われることがなくなって来たということを、それぞれが話しをすると、まだ繋がって間のない人は半年位のそんな人の話しを聞いて、笑顔を見せている仲間を見て、あぁ自分もあんなふうになれるかなと思いますし、1年6ヵ月の人は初めて来た人の話を聞いて、自分も当時そうだったなと、自分もここまで回復したんだなという回復を確認したりするわけです。ですからミーティングというのは同じような人たちが繋がって3ヵ月の人達ばかりが集まってミーティングをするのではなくて、初めて来た人もいれば、1年や3年長らくやめている人、そういう多様な人たちが一緒に同じ場でそれぞれの体験や経験を分かち合う、シェアして行くことが相互に影響しあうわけです。これが刑務所とか、病院とかになると本当に似たような人が集まるので、そのミーティングの中での気付きとか、希望というのもなかなかないわけです。
刑務所でやっても皆んな逮捕されて結局、刑務所に来たと、結局、俺たちは刑務所に居ると、この先どうなるんだろうと不安しかシェアー出来ないわけです。そこから良くなって行く話は誰からも聞かれないので中々希望が持てない。でもダルクやこういう当事者が集まるグループというのは良くなったこともまた分かち合いながらやって行くことに、非常に効果があるということですね。それは、ミーティングの中で、こういう繋がりの中で自分に問題がある、でその問題を自分1人で解決しようとするのではなくて、成功した人とその人と助けを求めながら、自分のこれまでを振り返り、何が良くて何がまずかったのかということ分析して行くわけですね。それをまたミーティングで話して行く、少しずつ自分の気持ちが落ち着いて安定してくれば、今度はそうい行為によって気づけた人たちに埋め合わせをしていく。謝罪ですむ場合もありますし、お金をちゃんと返すということもあるし、何かしら別の形で返して行くということなんかも有るのかなと思います。そういうことを通して良くなって行くわけですが、またそれで自分が終わりではなくて、同じようにまだ薬物で苦しんでいる人たちの手助けをして行くということが、このダルクや当事者のプログラムそのもの、1人の人が一人を助け、また、その人が次の人を助けて行くという。こういう形で広く大きくなって行ってるわけです。
木津川ダルクでは実際にヨーガを取り込んでやっているんですが、中々ポーズなんかとったりするのは日常的に他の時間も中々むつかしいようなんですが、呼吸法なんかはちょっと取り入れて、自分自身でやっているという仲間もおります。これは黙想ではありません。日常的にダルクというのはこういうようなんですよ。これで良いんです。最初はこれで良いんです。そのうち新しい人が入って来ると、何処か場所を取られるわけですね。この人がどこか違うところに移る。この人は立たなければならなくなって来るわけです。そうするとその人が新しい人のサポートをするわけですね。ここで寝ときとか、何か飲みたければここにコーヒーがあるからとか、それぞれ先輩が新しい人たちをサポートしながら、それぞれまた自分が出来ることをやっていく、そんな形で自分が出来ることをやっていくことが自分も役立っているんだと、これまで薬物を使って来て、誰からも誉められる事も無く、役立たずと言われて、死んだ方がええと言われて来た人たちが、自分にも居場所があり、役立つ、そんな場があるんだということが、また自分が生きていく力、モチベーションになって行くわけですね。
このダルクの活動というのは元々は本当にどうにもならない仲間同士が、ひとところに集まって、一軒家に集まって、ダルクを始めたわけです。これは31年前に東京の日暮里で近藤がアルコールの施設で良くやったんですが、そこでも薬物の人は良くならないと言われたことが、傷ついて自分たちの居場所、薬物の人たちだけで集える場所を作ってダルクを作ったわけです。仲間同士で取り組む内に少しずつメンバーが、そういう回復者が増えて行く、それと同時に社会的な認知も少しずつ広がっていくわけですね。生活保護の担当者や保健センターの人たちがその回復を目の辺りにした時に驚いて、ああ、良くなるんだと、こういうことが少しずつ広がって行き、認知されていくことで、今では総合支援法の制度を使えるようになったり、一時は保健福祉法の中に薬物を使った人というのは保険や医療の対象から外す、やはり、犯罪行為をしているからその保険は使えないという、そういう文言がたくさん残っていたのですが、そういうものも外して法律が変わったり、総合支援法の制度が使えるように1999年法律が変わって薬物依存症も精神障害の一つというふうにきちっと定義付けられて色んな制度も使えるようになって来たわけですね。
今では総合支援法の生活訓練施設とか、グループホームとか、こういう形でその施設が運営出来るようになったんですが、先も言ったように病気、障害ということになると障害でない依存者はどうなるのかということになるわけですね。例えば、私が従来やってきた京都ダルクというのはそういう総合支援法できちっと制度に則って運営出来るようになった。でもそこをきちっと利用しようとすると、精神科に行って依存症の診断を受けてもらわないと利用出来ないわけですね。そうすると中には精神科なんか行きたくないし、仕事してるし、毎日通えない、でも薬物はやめたという人も居るわけです。ですから制度が出来れば出来たで、その制度の狭間から落っこちる、そういう人たちも居て、制度が出来たから良かったねということじゃなくて、制度が出来てもその制度から漏れるような人たちをサポートして行く様のものが残らないと全体が上手く機能しない。それは、絵画とか油絵などはそういうものを額の中に嵌め込んだ時にすごく綺麗に完成したいように見えるわけですけど、実はそのキャンバスを外すと横っちょに下絵とか、はみ出た部分とか、そういうものがあるわけですよね。そういう枠の外に出ている、はみ出したような部分、こういう部分をきちっと在るということを見ておかないと、それは制度にきちっと乗せて行くことも出来ないし、制度からまた出て、更なる回復や成長を手にすることも出来ない。
一生精神病で病院に掛かり続けるというのは出来ればそういうところを離れて自由な健康な生活が出来た方が良いというふうに思うわけです。
これまでは病院とかでは底付き、痛い目に遭えば止めるんじゃないか、そんなふうに思われていたんです。ですから、通院していても、覚醒剤を使ったり、お酒を使ったり、そういうことが分かれば罰を与えて、通院をさせないとか、そんなことをしていたわけですが、今ではこういうことはもうしなくなりました。薬物の使用があっても通院を継続させますし、関わり続ける、薬物の使用があろうが関わり続ける、その中で再使用を思いとどまらせるような取り組み、もしくは、なぜ使ってしまったのかということと向き合う手助けをしていくようになって来ています。
思考の柔軟性が回復の促進というのはやはり新しい物を取り入れて行くということだと思うんですね。私たち自身も12ステップとか、こういう取り組み方があるのですが、それをそこだけでやるよりも、またヨーガ療法の方々と出会ったり、他の領域の方と出会って、他の領域で人がどんな風に変わって行くかとか、人がどういうふうに健康維持をしているのかということを知って行くことが、また逆に12ステップの良さとか、足らない部分とか、色んなものが見えてくるので、幅広く新しい物を取り入れて行く、大事にしなければならないところも有るわけですけれども、どんどんと依存症の治療とか回復というものの捉え方も変わって来ています。本当に30年前は覚醒剤を止めるのにお酒を飲んでおきなんて、当たり前に言っていたわけです。でも今ではそれは絶対駄目だと、覚醒剤止めたければお酒も一緒に止めなさいというふうになって来ていますし、それは僕たちが中学生の頃は、スポーツに関して言うと、スポ根と言われる時代でしたね。巨人の星とか、空手バカ一代とか、全てのアニメや漫画やスポーツが根性論で表現されているような漫画で、僕たちも実際にうさぎ跳びなんかもさせられましたし、それから何かちょっとヘマをすれば運動場を何周も走らされる。それも水も飲まされずにですね。こういうことをやって来たわけですが、今ではスポーツの業界ではそういううさぎ跳びなんかは絶対させません。膝の関節を壊すことはあっても筋肉を増強させたり、力を付けて行くためには何ら効果がないというふうに言われていますし、ランニングする時には定期的に水分の補給やエネルギー源の補給を定期的に行なうことが大事であるというふうに言われて、水分を補給することになって来ていますし、そんなふうにどんどんと科学や医療が進んで行く毎に、その治療の仕方や捉え方もどんどん変わって来ているわけです。依存症の世界でもそうです。この一週間ですかね、ニューヨークでの国連で薬物の特別委員会が行なわれています。世界的な流れとしてハーモニー・リダクションと言って同じく薬物の使用したから罰を与えるとか、そういうことは止めて行こうと、また大麻の解禁が世界的な流れになって来ています。
来年かなカナダでは、大麻を合法化するというふうに言われていますし、アメリカでもいくつかの州でも嗜好品の大麻が合法になっています。合法になったからといっても10代の中学生が大麻を吸えるわけはないですよ。それなりに制限があるわけですけども、使えるようになって行ってるわけです。すごい大きな変化、流れが今薬物や依存症の業界にも流れているというところです。まあ支援していく上では、その人の主体性それと動機を高められるような支援をやって行く。それは非常に長期に渡って考えるということですね。
例えば、ダルクにもその10年位、ぐだぐだ、ぐだぐだ薬物を止められない人が居ました。ダルクに入寮しては何ヵ月で良くなって、退寮して、もうちょっとしておいた方が良い、いやもう出て行きますと言って、出て行って薬を使って、入院してまたダルクに戻って来たり、刑務所へ行ったり、仕事をするようになって3ヵ月をしてまた使ったり、1年止めたことがなく10年間ダルクから離れずにいた人がいるのですね。でも10年目に止まり出したんです。そこから5年間止め続けて仕事をちゃんと持って、結婚して自分は幸せだと言ってるんです。本当にこのプログラムを離れずにやって来て良かった。この人が5年の断薬期間とその幸せを実感するのに15年掛けたんですね。最初の10年をほとんど効果がなかった10年、この10年を如何に関わり続けられるかが、大事なんだろうなと思うのですね。これをどこかで諦めていたら、その人はどうなっていたのだろうか、ひょっとしたらもっと早い回復があったのかもしれません。他でもっと良いもの、ヨーガ療法に行ってもっと早い時期に回復していたかもしれませんけれども、そう思うと非常に短期的に良いとか、悪いとか、考えるのではなくて長く考えて行く。駄目だ、駄目だって言うよりは何か止めることがどんなに良いことなのか、例えば、タバコは肺癌になって寿命を縮めるとか、そういう恐ろしい事を教えるよりは、たばこを止めたら1年間でいくら位節約できて、その金でハワイ旅行が何回行けるか、韓国だと3回位行けるかもしれないとかで、そういう止めて行く事のメリット、良さを伝えて行くということの方が、その人にモチベーションを高めることになる。中々止めれなかった人にダメダメとか、恐ろしさを教えるよりは止めて行く良さを教えることの方が効果的かなと思います。
そういう長期的に見て行く時に様々な段階があるわけですね。最初は精神科の病院に入院して3ヵ月ほど完全に体から薬を抜いて精神疾患があるかないかを見たりして行く、その次にはダルクに入寮して自分を振り返って行くようなミーティングを通した取り組みをやって行く。その次に就労支援とか、社会性を身に付けるマナーとか、常識とか、そういう講座があっても良いかもしれないし、そんな時にヨーガ療法に取り組んで行くというのも効果的かもしれませんし、色んなグループワークやもしくは勉強が上手くいっていなかった人にとっては、もう一度高校の資格を取りに行くような、そういうものをプログラムの中に取り入れたり、介護の施設の勉強をしたり、それぞれの段階にそれぞれ取り組めるようなものを入れながら長期に見て行く。こういうことが大事だと思いますし、そのことが例えば、精神科の医療の中での寛解、完治するということでもないし、犯罪を犯す人にとっては保護観察、そういうところからの更生とかいうものではなくて、もっと自由で広い可能性に満ちたものだというふうに思うのですね。それは回復というのは、薬を止めるというのはゴールではなくて本当に止めて行くことが、先ず薬を手放すことがスタートになり、回復して行くことが人生のプロセスそのものだというふうに思うわけです。ですから制度の中で何かしら得るものというのは非常に限られたものでしかないし、もっと幅広いスピリチュアルな回復なんて言うわけですけれども、もっと自由なものであると思っています。
あまり時間も無いのでサラッと行くのですが、ダルクは施設長が一番偉いわけではなくて、初めて来た人が一番大切にされる、その人が初めて来た日に居心地が良ければ次の日も来やすいわけですね。ですから初めて来た人を大切にする。私たち支援者は信頼されてこそ援助出来るわけで、信頼されなければ何の役にも立たない。余りにも美しい環境というのは、ああそんなのは自分の居る場所ではないというふうになるので、それなりに何か段階的なプロセス、居場所があって良いのかなと思います。さっきも言ったように再使用、リラプスというのは回復途上では起き得ることだと思って下さい。その人に何かしら伝える時、あなたがこうしなさい、ああしなさいというよりは、私たちと一緒にこういうことをしてみませんかとか、私はあなたが薬物を使ってしまうのが非常に悲しんだというようなことを伝える。そういうことしていきますし、そういう回復が進んで行く中で、その人が活躍出来る場所、1年止めて喜ばれるそんな場所、それから出番、役割があるということはその人自身をまた回復に更に向かわせる、そんな要因になるんじゃないかなと思います。
最後に私たちは、ミーティングを終わった後に、この平安の祈り、
「神さま私にお与え下さい
自分に変えられないものを
受け入れる落ち着きを
変えられるものは
変えて行く勇気を
そして、二つのものを
見分ける賢さを」

選択して行く自分たちが本当に使うか使わないか、止めるか止めないのかを自ら選択しながらもう一度人生を取り戻して行くというのが大事、その伴奏者でいることが一番の役割かなと思っています。ご清聴ありがとうございました。

座長:加藤先生どうもありがとうございました。ほんとに。依存症についてこれほどイメージを持って分かりやすくお話を聞いたのは私も初めてでした。第2部、第3部も伺いたいくらいですが、時間の関係でまた質疑応答、後ほどありますので、その時に加藤先生に会ってみて下さい。もう一度拍手をお願いいたします。

分科会:薬物/アルコール依存症
質疑応答
座長:福永和子

質問者:(DVD途中から・・)の中で回復へのステップを踏んで行っていらっしゃるのかなというふうにお聞きしました。例えば、NAもミーティング、ダルクの中でのミーティングも言いっぱなし、聞きっぱなしというふうに伺っておりますが、1つ目が例えば、繋がって間もない方が長く回復を続けておられる方にミーティング内で質問をされるということは、聞きっぱなしになるのかどうかということ1点と、聞きっぱなしである理由とそこに起きる構想、効果等をお聞かせていただければと思います。

加藤先生:ありがとうございます。ダルクの中でもきちっとヒエラルキーを作って、係というよな例えば、散歩係とか、そういうものを段階的に持って、自由度を変えていく、例えば金銭の管理の仕方を段階的に自由にさせていくとか、そういうところも有るんですが、木津川ダルクではあまりそういうきちっとしたヒエラルキーというのが無いんですね。できる人は出来ない人の手助けをしていくということですから、私にとってもそういう立場なんですね。何時でも施設長は変わってくれたら良いよ、やって貰えた方が助かるのでと、それくらいのことは言うのですが、ミーティングの中での言いっぱなし、聞きっぱなしというのは、基本言いっぱなし、聞きっぱなしは、それによって非難されたり、称賛されたりしないということでの話を、安心して出来るという場を提供するということですね。称賛するということも有るとそれを求めてしまうし、称賛が無かったということが良くない話だったということになるので、あまりそういうことにしない、淡々と自分に起きたこと、自分の経験を話す、ですから誰かのこと、親のことであったりとか、社会とか、政治とかそういうものについて話はしない。自分の事について話をするということでね。質問があればミーティングが終わってから、その必要な人に尋ねていくという形を取っていますから、そんな感じですかね。言いっぱなし、聞きっぱなしの無いミーティングも有るんです。何かしらディスカッションするようなミーティングもありますし、基本はそういう言いっぱなしの聞きっぱなしでやっているというのが多くのミーティングです。そんなところですよろしいでしょうか。

質問者:宮城県の仙台市で今ヨーガ療法士の勉強中でおります小島さとみと申します。よろしくお願いいたします。加藤先生に一つご質問と後、中田さんに質問を一つお願いします。先ず加藤先生に質問させていただきたいのですが、私は今ヨーガ療法士の勉強中です。これから様々な現場とか、クライアントさんと接して行くと思うんですが、恐らく私は麻薬中毒なので助けて下さいという方には中々出会えないと思うのですが、一番身近な所で精神薬の依存症というものが私たちに一番近いクライアントさんかなと思いましたら、共通点とか何かあるかなと考えていたんですが、加藤先生から何かアドバイスや思い当たることがありましたら、ご助言をお願いいたします。

加藤先生:例えば、精神薬を飲みだす人の一つの例が、大学受験を控えて非常にストレスを抱えて不安定になって来た。その時に睡眠不足とかストレスから向精神薬を飲みだした。飲むことで辛うじて受験にも成功して大学に受かり、大学生活が始まった。でもその向精神薬を飲み続けているという人が居るんですね。それは本来の大学受験という目標というのがあって、それを解決するために飲んだのに、もう受験も終わっているのに、大学生活も始まってるのに手放せない人たち、これを飲み続けてると耐性が出来て来て少しずつ増えて行く、薬が効きにくくなるわけですね。1錠の効果が薄らいで行くことで2錠飲んだり、もっと強い薬に移って行ったりするわけです。本当はここで薬を止めて行く、もしくは減らして行くことを医療機関がきちっとしなければならないんですけれども、安易に出し続ける医者が多いわけですね。このことが向精神薬の依存症を作っているといえば作っているんですが、だんだん問題になって来ると、そのドクターは受診の禁止をする。もううちには来ないでくれ、あんたはもうよう見んわというふうになって、その患者を見なくなるわけですね。大量にお薬が必要になった人は、また違うクリニックに行って薬を飲むようになり、どんどんと進行して行くということなので、そういう人たちをどういうふうにヨーガ療法の中で見ていくかというところを考えると、やはり自分をコントロールしたり、自分を見ていくこと、薬に頼るんではなくてヨーガ療法の仲間に頼るということがあったり、一人の時でも呼吸法とか、ヨーガをすることで自分をコントロールしていくことを身に付けていくことが役に立つかなと思うんですけど、駄目、駄目、というと直ぐ来なくなってしまったりするので、その大変さを理解して行くことくらいなのかなという。その大変さを一緒に解決して行こうという何かこちら側の思いが伝われば相手方も心を開いて来たり、実際のところ話してくれたりするんじゃないでしょうか。大体皆さん、自分の問題というのは気付いているので、大体話は小さく、2錠しか飲んでいないんです、たまにしか飲んでいないのですと言ってる人は大体毎日飲んでいたり、もう少し飲んでいたり、一ヶ所しか診療所に行っていないと言ってる人は実際に2ヶ所から貰っていたりとか、そういうこともよくあることなので、そういう話をしてくれないと知り得ないようなことを話してくれれば、何かそれは上手く行っているというふうに言っても良いのかもしれないですね。依存症の人も言ってるかもしれないけど、ただ他の色んな違法な薬物や、そういう人たちも中々そういうこと言える雰囲気というか、場なんだという安心感がなければ言えないと思いますね。僕は精神病院でも言えなかったですよ。そんなことに対応しているというのはどこにも書いてないですから、薬物依存症でお困りの方はご相談下さいと、違法薬物でも警察に通報することはございませんと書いてあったりしたら言えたのかもしれないけど、そんなことを書いてくれてるところも中々ないので、だからといってヨーガ療法のところへと、そんなことを書いておけるかというと、ちょっと難しいとは思うのですけれども、まあ違法、合法を問わず、そういう薬物に依存している人たちというのは、やはり薬を使っていることそのものが問題ではなくて象徴的な行為だと思うのですね、薬を使うというのは。その薬を使うことに隠されている実際、解決すべき問題とか課題そういうところにアクセス出来れば良いのかなというふうに思うので、あまり合法非合法問わず、恐れないで良いかなと思います。

質問者:ありがとうございます。中田先生にご質問をお願いします。先程のプレゼンとても分かり易くて本当に面白かったのですが、人間五臓説、馬車説というのは私たちの間でも生徒さんにお話をしてみると、そういうマニアックな話はちょっとという感じで、すごくガードがありますし、結構難しいお話なので、中々、初心者とかヨーガにマニアックに関わりたい方じゃない方に受け入れられるのって難しいかなと思ったんですけれども、私の偏見かもわかりませんが、色々な少し、いわゆる真面目な会社員じゃない方も多くいらっしゃるのかなというイメージでしたが、そういう方に対してそういう高度な哲学のお話をする中で御苦労とか、気を付けたこととか何かありましたらお願いします。

中田先生:すごくおっしゃっている気持ちが良く分かります。何故かと言いますと、私もこちらのダルクさんでの指導に入る前まで、あまり実は触れて来なかったんですよ。それででも仲間と一緒にやって行く内に、このヨーガの哲学が必要だというふうになって、それで初めて行なって、慣れていったわけですね。最初はやっぱりどんなふうに説明したら良いだろうと思いました。それぞれの療法士の説明が皆んな統一しているわけではないので、説明し易いような感じで説明して行くんですが、人間五臓説はやっぱり難解だったりするのですよ。なので人間馬車説の方が入りやすいのですね。何となくイメージ的に、絵からしても何となくイメージが付きますし、どういうふうに説明するのかと言いますと、この10頭の馬が運動器官と感覚器官なんですよと、例えばそれは手であり、足であり、口でありという形で説明するわけですね。手綱が感情なんですよ。手綱を持っている人が御者なんですよ。この御者が言ってみれば理智なんです。つまり判断とか決定を下すわけです。この理智の人が正しい判断、正しい決定が出来なかったら、この後に続いて行く将来とか未来とか、道が続いている、その道に行くか、上手に歩めませんよねという感じで説明するわけですね。なので先ずこの理智の方がしっかりしている状態、なおかつ馬が暴走馬じゃない状態、そうしたら、いってみれば、山あり谷ありの人生、ありますよね今まで。これからもきっとありますよねと言って、その山あり谷ありの人生を上手に歩んで行く事が出来るんですよ。ということを言います。こんな感じの言い方です。「この後の人は何ですかね」「この人は何?」とたまに言われるので、この人はN A.プログラムで神様って出て来るでしょう。一緒ですということですね。後、私たちの中には良心という良い心があるでしょう。それなんですよ。ただこの良心の声を聞くためには馬が暴走していては聞けないし、判断が間違ってしまう理智だったら中々うまく聞けないんで。だからヨーガをやるんですよ。そういった説明をしていきます。何となく分かりますかね。なので、スムーズにいってないんですけども、毎回、毎回皆んなと力を合わせ、今回こうだったよね、ああだったよねっていうふうに感想を言い合いながら高めて行っているという感じです。ありがとうございました。

質問者:鹿児島療法士会の竹島敦子と申します。よろしくお願いします。今日はアルコール中毒の知り合いの方のことで、ここに勉強に入ったんですけども、大体、薬物療法の方と同じように考えてよろしいのでしょうか。加藤先生にお聞きしたいのですけれども。

加藤先生:今日は薬物という中で話をさせて貰ったんですが、僕たちはアルコールも薬物も一緒なんだと言っています。日本では比較的アルコールと薬物と分けて考えたりするんですが、基本、欧米では薬物の中に覚醒剤、大麻、アルコールというふうに分けて考えてるわけですね。法律から見ればアルコールと覚醒剤と言うが違うんですが、治療とかトリートメントとか、そういうところから見ると気分を変える薬物とすれば、向精神薬もアルコールも大麻も一緒なんですね。ですから、引き起こす行動とかエピソードというのは少しずつ違いはあるんですが、その病気が進行して行く心理的なものとか、そういうものとか回復して行く取り組み方というのは全然変わらないので同じように考えていただいて良いかなと思います。

質問者:ありがとうございます。その方はちょっと鹿児島に住んでいないものですから、言葉でしか伝えられなくて、ヨーガなんかを一緒に出来れば良いんですけれども、言葉で話すしかないんですね。先程、前向きな話、息子もタバコを吸っていて中々止められないで、ああ、良い話し方だなと思ったんですけど、何個貯めて行ったら1年貯めたらいくら貯まってそれで旅行出来るとか、入院したら何処まで行けるとか、そういう前向きな話をしたらすごく良いのかなとすごく感心しました。いつも止めなさい、体に悪いんだから、もう全身に悪いんだからと、何時も言うんだけども、中々止められなかったので、今度来た時にはそんな話し方をしようと思いました。ありがとうございました。後、お二人のヨーガ療法士の方にクンバカの話しが出て来たんですけれども、私も昔はクンバカも採り入れていましたけれども、ヨーガ療法士になって、癌の患者さんとかもいらっしゃるのでクンバカは止めなさいと、木村先生に教えられていたので、クンバカをやるんだと思って、忍耐力を付けるためだということだったんですけれども、どのようなクンバカで、どのくらいの長さなのかとか、それをお聞きしたいと思うんですがよろしくお願いしたします。

安達先生:富山ダルクの方では大体、その一呼吸がその日によって4秒か5秒くらいが平均値という形で、例えば5秒で吸って5秒で止めて「ンー」と言って5秒で吐いて、また5秒で止めて、また5秒で吸って、同じだけ止めて、「ンー」と言って5秒で吐いて、止めてとみたいなことをしています。それがやはり自分のリズムの中でそういうことが出来るか、どうかという形で息してもらってという形ですね。

質問者:分かりました。結構短いですね。

中田先生:川崎もほぼ同様ですね。大体止息時間は4~5秒位ですかね。そんな感じです。10秒とかはやらないです。

質問者:はい分かりました。ありがとうございました。

座長:ありがとうございました。それではここで突然のご提案なんですけれども、実は昨日、スタッフの方で打ち合わせをしておりまして、こんなに近くに素晴らしい先生方やお互いに依存症支援をしていらっしゃる方が集まっているというのはまたと無い機会ですので、今日のお話でもやはりミーティングで繋がるという、繋がることがとっても大切だということなので、私たちも繋がって行けたら、依存症の支援について、やはり色んなことが可能になっていけるかなということで、本当は全員でミーティングが出来たら嬉しいんですけど、その時間が無いので、事情をお話すると20分にはこの話を終わりにしなければいけないので、後10分なんですけれども、もしよろしければ今日来ていらっしゃる方で依存症の回復支援に関わっていらっしゃる方のお名前と所属だけでも、皆さんで顔見知りになれたら後で何か役に立つのかなと思いまして、ちょっとその時間に10分間させていただいてよろしいでしょうか。ありがとうございます。そうしましたら最初はご招待で来ていただいている演者、順番にお名前と所属をお願いいたします。

参加者1:本日は貴重なお話、誠にありがとうございました。本当に勉強になりました。墨田区にあります岡崎クリニックという精神科のクリニックで、薬物依存症の専門医をしている藤村と申します。東京の武蔵野にある武蔵野ダルクの顧問も兼任しているのですけれども、自分自身が特に、アディクトの本人ではないので、本当に、日々勉強させて頂いて、こういった機会でも今日皆さんの取り組みと加藤さんのご自分のお話で非常に勉強になりました。本業のクリニックの方はアクトという包括型地域生活支援プログラムという長い名前なんですけれども、在宅で全く支援の手が届いていない方、重症精神障害の方に対する24時間365日の訪問のプログラムでアメリカの方で作られたものなのですけれども、日本に入って、もう訳も分からず、医師も看護師も私のような依存症の専門医も訪問していますけど、ダルクさんのように一緒に共同生活をして一緒にやっていくというとこが、絶対数欠けていて、訪問だけだとちょっと弱いのですよね。本当にダルクさんとの連絡を重要視していきたいと思っております。以上です。

参加者2:今日はどうもありがとうございましたとても分かり易いプレゼンテーションで、色んなことが勉強になったと思っております。私は東京都の三鷹にあります井之頭病院という精神科の病院で、私はアルコール症センター という所属なんですけれども、その中のアルコールデイケア、入院患者さんの次に繋がるところで看護師をしております。現在のメンバーさん、100名規模のメンバーさんで、平均すると大体1日80名位アルコール依存症の方が通われるという施設になります。その中で司会されている福永先生にも毎日のようにお世話になっているという形で、実を言うとヨーガなんですけれども、私たちのプログラムの中では、かなり人気の高いプログラムでして、狭い部屋で申しわけないんですけれども、行なってもらう形で結構、やりたいんだけれども、何時も満杯になってしまって出来ないというような現状があります。私たちは何時もアルコール依存症の方に対して、私は何時もこれは私見で自分が思っていることなんですけれども、人間関係が苦手だ、繋がりという話もありましたけれども、どうやら体の臓器だとか、あと体の感覚だとか、そういったところのコミュニケーションが上手く行っていない方がいらっしゃる。アルコールですと必ず内臓を痛めてしまうのですね。全身を痛めるのですけれども例えば、そういう時に肝臓だとか、膵臓だとか、多分そういったところから助けて下さいという感覚、信号が出ていると思うのですね。そういう感覚を多分、中々キャッチするといったところが苦手なのかなと思って、そういうプログラムが無いかなと思って、私は病棟にもいましたので、いつもプログラム中に思っていたのですけれども、福永先生のヨーガだとか、マインドフルネスそういったところがこれから依存症の方に対する身体的なアプローチというのが、非常に大事なことなんだろうと思っています。どうもありがとうございました。

参加者3:貴重なご講演どうもありがとうございました。お越しの先生方も皆様方の発表もすごく参考にさせていただきました。私は久里浜医療センターのアルコール科の臨床をしております家元と申します。実は私もすごくヨーガが好きで、今も毎日アシュタンガとかをやっているんですけれども、去年たまたまヨガフェスタで木村先生にお声掛けをさせていただいたところ、医療機関で、すごくヨーガが取り入れられていてという話を受けまして、ちょっと私どもの久里浜医療センターは古く、アルコール依存症の方をたくさん受け入れているんですけれども、なんかこう例えばヨーガとか、瞑想とか、何かそういう新しい治療法なんて、まだまだ全然、進んでいなくて、海外を見てみると結構やっているんですが、何故日本でやっていないんだろうと思っていて、そんなわけで、自分も、ちょっと経験もしているということもあって、やりたいなと思って、今取り入れようとさせて頂いているところでは、学会の方々にご協力いただいている最中ですので、ありがとうございますというところで、今後ともよろしくお願いいたします。

座長:ありがとうございました。それでは後残りが5分ですね。療法士の皆さんで回復支援をなさっている方、ちょっとご起立をしていただいてよろしいですか。順番にマイクを回していただいて、県名とお名前と施設名だけ、すいません、時間が無くて短いんですけども、順番にマイクを回しますので。
1:和歌山の高垣と言います。加藤先生の木津川ダルクに関わらせていただいています。ほとんど女性なんですが、私は男性で関わらせていただいて、私は指導というよりは主に色々とクライアントの方々とのコミュニケーションの部門でちょっと関わらせていただいています。

2:私も木津川ダルクの方で指導を時々させて頂いております。大阪ヨーガ療法士会の越智美幸と申します。まだ経験が浅いですけれども、お一人お一人の方に向き合っていけたらと思っております。ありがとうございます。

座長:時間が無いので県名、お名前、場所の3つだけでよろしくお願いします。

3:奈良県から来ました大西馨子と申します。木津川ダルクの方で時々、指導の方させて頂いております。ありがとうございます。

4:和歌山から来ました髙垣加代子と言います。あたしたちも大体10人位で木津川ダルクの方で関わらせていただいています。

5:福岡の認定ヨーガ療法士の大平と申します。私は本業が相談支援専門員でして、今、依存症の方がクリニックからも訪問看護からも見れないと言われている方を、色んな医療機関に繋いで居るところです。

6:愛岐ヨーガ療法士会の方から岐阜ダルクの方に伺わらせていただいております。月2回伺っています。今日は5名で来ました。

7:沖縄のヨーガ療法士の新屋と玉城です。沖縄ダルクで関わらせていただいております。よろしくお願いします。

8:九州ダルクで支援をさせて頂いております。今村と申します。九州ダルク、福岡の方なんですけれども、関わらせていただいて大体1年半位になりますけども、少しずつ溶け込んでいけてるかなと思います。よろしくお願いします。

9:岡山県の方から来ました。3人で岡山ダルクの方に8ヵ月ほどさせていただいています。今日は本当にありがとうございました。

10:富山県から来ました富山ダルクに関わっております。今立っているのは4人、安達さんと、この他関わっているのは7~8名くらいです。よろしくお願いします。

11:三重県から参りました、三重ダルクに関わっている堀口と申します。3名の者が関わっておりますが、今日は2名の者で来させて頂いています。最後になったんですが、私たちの三重ダルクでは、今日皆さん素晴らしい発表、眩いばかりの発表を聞かせていただいたんですが、施設長の方から禁止されていることばっかりなんで、うちではやらないでくれというようなこと、かなり発達障害の方が多いので混乱するので、混乱するようなことは計測も自分で病気を作っちゃうと、出た計測に対して病気を作っちゃうような方が、すごく多いので計測もしないで欲しい、それから瞑想的なことはやはり混乱するのでやらないで欲しいというなことを言われておりますので、中々そういったことは出来ないのですが、それなりのところでやらせていただいております。

座長:ありがとうございました。本当に私は伺わなければ全然分からないことばかりだったので、本当に今日は皆さんにご紹介いただいて、繋がりが出来て、もっと出来たら良いと思うんですけれども、帰り道ながらでも、もし声を掛け合えたら、お願いします。では最後にお礼の言葉を述べさせていただきます。加藤先生は本当に分かり易く、私たちがイメージ出来て、唾液まで出るような発表をしていただいて本当に分かりやすかったです。先生、後にチラシを置いていらっしゃいますよね。皆さんも持っていらっしゃるかと思いますけれども、すごくそういう活動をなされているので、私たちもこれからも勉強させていただきたいと思います。本当にありがとうございます。それから安達さんは本当にダルクのメンバーの方と同じ立つ位置で繋がって行くことの大切さを教えていただきました。これからも教えて下さい。ありがとうございました。それから中田さんは療法士の心の内の言葉も聞かせていただいてすごく共感出来たところが皆さんあったと思います。これからも皆さんで、チームでやって行くのを是非学ばせていただけたらと思います。ありがとうございました。3人の先生方に拍手をもう一度お願いいたします。ありがとうございました。

司会:ありがとうございました。それではアルコール薬物関連の分科会を終了致します。