「命を救う」。私たちがその言葉を恐れてはいけない理由

福祉や支援の現場では、近年「支援者が利用者を『救う』と言うのはおこがましい」という議論があります。

「対等ではない」「上から目線だ」「本人の力を奪う」などなど。確かに、それらは一理あります。教科書的には正解なのでしょう。

しかし、あえて言わせて頂きます。

薬物依存症回復支援の現場において、「命を救う」という表現は、紛れもなく適切であり、必要な言葉です。

なぜなら、薬物依存症は「死に至る病」だからです。

孤立し、社会から排除され、自暴自棄になった当事者の行き着く先は、刑務所か、精神科病院か、あるいは死です。

オーバードーズ(アルコールも含む)で意識を失っている時、真冬の路上で行き場を失っている時、絶望して自ら命を絶とうとしている時。

そこで必要なのは「見守る」ことでも「エンパワメント」することでもありません。

まずは、物理的にその命を「死」の淵から引き戻すことです。

生きていなければ、回復はありません。

生きていなければ、自立も、反省も、やり直しもできません。

その「生きるための最低条件」が崩れ去ろうとしている時、私たちが手を伸ばして繋ぎ止める行為は、まぎれもなく「救命」です。

私たち支援者は、神様でも救世主でもありません。他者の人生をコントロールすることはできません。

しかし、溺れている人に浮き輪を投げることはできます。

冷たい社会の海で溺れかけている仲間に、「ここなら、とりあえず息ができるぞ」と場所を提供することはできます。

「救うなんておこがましい」と躊躇している間に、失われてしまう命があるのです。

だから私たちは、胸を張って言います。

私たちは、命を救っています。

回復という長い旅路は本人の足で歩むものですが、そのスタートラインに生きて立たせること。今日一日、回復の居場所を提供すること。それこそが、私たちの誇りであり、使命なのです。

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遠くの友、愛すべき強面の同志へ 秋田ダルクの代表ブンタコト平原薫氏が亡くなったという知らせが届いた。

まだ実感が湧かないというのが正直なところだ。
彼とは遠く離れた場所で、同じ「回復支援」という決して平坦ではない道を歩む同志だった。
初めて会った時の印象は、まさに「強面」。その容姿に、彼が乗り越えてきた修羅場の数々が刻まれているようだった。けれど、ひとたび言葉を交わせば、その顔がくしゃりと崩れ、驚くほど人懐っこく、気の好い「いい男」の顔を見せてくれた。
顔を合わせる機会はそう多くはなかったが、会えば決まって近況を報告し合い、時には会議の片隅で「やってられないよな」なんて、お互いの苦労をぼやき、愚痴を言い合った。
きれいごとだけでは済まないこの現場で、そうやって本音を吐き出せる仲間がまた一人減ってしまったことが、何より寂しい。
強面の裏にあったあの優しさと、回復への熱い想い。
遠い北の地で、仲間たちのために体を張ってきた彼の生き様を、僕は忘れない。
ゆっくり休んでください。そっちではもう、愚痴らなくていいように。
心から冥福を祈ります。

けいはんな記念公園で紅葉狩り!自然の中で心洗われる一日

今日は皆で「けいはんな記念公園」へ紅葉散策に出かけてきました。

公園に足を踏み入れると、そこはまさに秋一色。

赤や黄色、オレンジに染まった木々が重なり合い、見事なグラデーションを作り出していました。時折吹く風に舞う落ち葉も風情があり、色とりどりの紅葉に包まれながら歩くだけで、心が洗われるような気分になります。

広い園内をみんなでゆっくりと歩き、景色を眺めたり写真を撮ったりして、深まる秋を存分に満喫しました。

そして、今回の一番の楽しみといっても過言ではないのがランチタイム!

青空の下、広場で車座になって「おにぎり弁当」をいただきました。

普段食べるおにぎりも美味しいですが、こうして美しい自然の中で、澄んだ空気と一緒に味わうと、何倍も美味しく感じられるから不思議です。「やっぱり外で食べると最高だね!」と、あちこちで笑顔がこぼれました。

美しい景色と美味しいご飯、そして仲間との穏やかな時間。

とても気持ちのいい、リフレッシュできた一日となりました。また明日から頑張れそうです!