皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

本年が、関わるすべての方にとって、穏やかで実りある一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

さて、木津川ダルク「カルデモンメ」は、元旦から通常どおり開所し、新しい一年を仲間と共にスタートしました。
元旦の朝は、代表による新年最初の講義から始まり、「回復とは何か」「一日一日をどう積み重ねていくか」について、改めて共有する時間となりました。

その後は、代表特製の雑煮とおせち料理を皆で囲み、笑顔あふれる食卓に。
「一人ではなく、仲間と食べる」という何気ない時間が、回復の土台であることを実感するひとときとなり、新年の活力をしっかりといただきました。

午後からは、木津川ダルクの卒業生も来所。
現在利用している仲間にとっては、「回復の先にある姿」を身近に感じられる貴重な交流の場となり、自然と会話も弾みました。

その後、全員で初詣へ参加。
おみくじを引き、「今年はこんな一年にしたい」「この言葉を大切にしたい」と、それぞれの思いを語り合う中で、場の雰囲気は一層和やかなものになりました。
代表からはお年玉も配られ、新年らしい温かさに包まれた一日となりました。

依存症からの回復は、特別な出来事だけでなく、
「共に過ごす日常」「安心できる関係」「続けること」の積み重ねです。
木津川ダルクでは、これからも一人ひとりの歩みに寄り添いながら、回復の場を大切に育んでいきます。

穏やかな年末。カルデモンメのおせち作りと新年の準備

木津川ダルク「カルデモンメ」は、多くの方々に支えられ、この一年を無事に終えることができそうです。

日々の支援や見守り、そして温かい励ましを寄せてくださった多くの方々のお力添えがあってこそ、ここまで歩んでくることができました。

関係機関の皆様、地域の皆様、ご家族の皆様、そして私達の活動を理解し支えてくださる全ての方々に、心より感謝申し上げます。

今日は、代表を中心に利用者・職員が一緒になり、おせち作りを行いました。
食材を切り、味を確かめ、声を掛け合いながら準備を進める時間は、穏やかであたたかなひとときとなりました。
出来上がったおせちは、一つひとつに想いが込められ、新しい年を迎える準備として、皆で喜びを分かち合いました。

こうした日常の積み重ねも、回復への大切なプロセスの一つです。
これからも、一人ひとりの歩みに寄り添いながら、安心して過ごせる居場所づくりに努めてまいります。
今後とも、変わらぬご理解とご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。

#image_title

死に損ないの私が、今日を生かされている理由(わけ)。失ったものよりも、大きな喜びを〜断酒断薬30年を迎えて〜

1995年12月21日、水曜日。
私は精神科病院を退院し、その足で仲間の待つミーティング会場へと向かいました。
あの日、会場で仲間が笑顔で広げてくれた両手と「お帰り」という言葉。
あれから今日で、ちょうど30年が経ちました。
あの日までの私は、生きることも死ぬこともできずにいました。
一度は自助グループやダルクにつながり、1年半ほど酒も薬も止めていました。けれど、シラフでいる毎日は少しも楽しくなく、かといって再び薬を使う気にもなれない。
「こんな人生なら終わらせてしまおう」と思い詰め、その年の8月に大量の薬を飲みました。
しかし死にきれず、ふらつく足で向かったミーティングの最中に意識を失い倒れ、仲間に救急車で運ばれました。
病院のベッドで目を覚ました時、最初に思ったのは「あぁ、また死ぬことができなかった」という絶望でした。
見舞いに来てくれた仲間に、私は「なんで助けたんだ!」と暴言を吐きました。もし逆の立場なら、私も迷わず救急車を呼んでいただろうに。そんな当たり前の優しささえ、当時の私は受け入れることができませんでした。
入院中、私はあることに気づき愕然としました。
かつて薬を止めるためダルクに入所する前、私は家財道具一式を倉庫に預けていました。「これさえあれば生活できる」と、後生大事に守ってきた家具や電化製品です。
けれど、1年の入所を経て退所し、新しく借りた部屋にそれらの荷物を運び込んだ時、強烈な虚しさが押し寄せてきました。
「自分が大切にすべきだったのは、こんなモノじゃなかった」
本当に大切だった家族、友人、職場への信頼……それら全てを失い、お金を出せばまた買えるようなモノに執着していた自分が、どうしようもなく情けなかった。
薬を止めて1年が経っても、壊れた人間関係は何ひとつ戻っていなかったのです。一人の部屋は寂しく、辛いものでした。
でも、私には薬を辞め続けていく新しい仲間がいました。
「今日一日を大切にしよう。今日、生かされていることに感謝と謙虚さを持って、穏やかに生きよう」
そう決心してからの30年、一度も再使用することなく生きてくることができました。
2000年からはダルクでアディクトの支援に関わるようになり、2019年には保護司の委嘱も受けました。
肩書きだけを見れば、立派な支援者のように見えるかもしれません。
しかし、私の根っこにあるのは、あの病院で絶望していた自分と同じ、ただの「薬物に苦しむアディクトの仲間」でしかありません。
様々な失敗や間違いを犯しながら、仲間に愛され、助けられて生きてきました。「愛されている」という事実に魂を留まらせることが、苦しく感じる日さえありました。
それでも、シラフで生き続けてきたからこそ、迎えられた最期がありました。
今年の8月、母が86歳で亡くなりました。
決して良い関係ばかりではなかった母子でした。けれど、ホスピスに入った母のもとへ足を運び、ただそばにいる時間を重ねることができました。
「手を握ってほしい」と母が言った時の驚き、その手の弱々しさ、眠るような最期。
蟠(わだかま)りなく「ありがとう」と伝え、看取ることができたのは、私が今日まで回復の道を歩み続けてきたからだと思えます。
20代の頃、私は薬物に楽しみを求めましたが、結局は薬物に苦しめられました。
その代償として失ったものは、確かに多かったです。
しかし、薬物を手放し、新しい仲間と共に手に入れた喜びは、失ったもの以上に大きく、そして多いものでした。
30年前、「なんで助けたんだ」と叫んだ私を、見捨てずにいてくれた仲間たちへ。
そして、今日一日を共に生きてくれるすべての仲間へ。
心からの感謝を込めて。

#断酒断薬 #薬物依存症 #回復 #ダルク #DARC #今日一日 #アディクト #感謝 #仲間 #保護司 #生き直し #自殺未遂