1995年12月21日、水曜日。
私は精神科病院を退院し、その足で仲間の待つミーティング会場へと向かいました。
あの日、会場で仲間が笑顔で広げてくれた両手と「お帰り」という言葉。
あれから今日で、ちょうど30年が経ちました。
あの日までの私は、生きることも死ぬこともできずにいました。
一度は自助グループやダルクにつながり、1年半ほど酒も薬も止めていました。けれど、シラフでいる毎日は少しも楽しくなく、かといって再び薬を使う気にもなれない。
「こんな人生なら終わらせてしまおう」と思い詰め、その年の8月に大量の薬を飲みました。
しかし死にきれず、ふらつく足で向かったミーティングの最中に意識を失い倒れ、仲間に救急車で運ばれました。
病院のベッドで目を覚ました時、最初に思ったのは「あぁ、また死ぬことができなかった」という絶望でした。
見舞いに来てくれた仲間に、私は「なんで助けたんだ!」と暴言を吐きました。もし逆の立場なら、私も迷わず救急車を呼んでいただろうに。そんな当たり前の優しささえ、当時の私は受け入れることができませんでした。
入院中、私はあることに気づき愕然としました。
かつて薬を止めるためダルクに入所する前、私は家財道具一式を倉庫に預けていました。「これさえあれば生活できる」と、後生大事に守ってきた家具や電化製品です。
けれど、1年の入所を経て退所し、新しく借りた部屋にそれらの荷物を運び込んだ時、強烈な虚しさが押し寄せてきました。
「自分が大切にすべきだったのは、こんなモノじゃなかった」
本当に大切だった家族、友人、職場への信頼……それら全てを失い、お金を出せばまた買えるようなモノに執着していた自分が、どうしようもなく情けなかった。
薬を止めて1年が経っても、壊れた人間関係は何ひとつ戻っていなかったのです。一人の部屋は寂しく、辛いものでした。
でも、私には薬を辞め続けていく新しい仲間がいました。
「今日一日を大切にしよう。今日、生かされていることに感謝と謙虚さを持って、穏やかに生きよう」
そう決心してからの30年、一度も再使用することなく生きてくることができました。
2000年からはダルクでアディクトの支援に関わるようになり、2019年には保護司の委嘱も受けました。
肩書きだけを見れば、立派な支援者のように見えるかもしれません。
しかし、私の根っこにあるのは、あの病院で絶望していた自分と同じ、ただの「薬物に苦しむアディクトの仲間」でしかありません。
様々な失敗や間違いを犯しながら、仲間に愛され、助けられて生きてきました。「愛されている」という事実に魂を留まらせることが、苦しく感じる日さえありました。
それでも、シラフで生き続けてきたからこそ、迎えられた最期がありました。
今年の8月、母が86歳で亡くなりました。
決して良い関係ばかりではなかった母子でした。けれど、ホスピスに入った母のもとへ足を運び、ただそばにいる時間を重ねることができました。
「手を握ってほしい」と母が言った時の驚き、その手の弱々しさ、眠るような最期。
蟠(わだかま)りなく「ありがとう」と伝え、看取ることができたのは、私が今日まで回復の道を歩み続けてきたからだと思えます。
20代の頃、私は薬物に楽しみを求めましたが、結局は薬物に苦しめられました。
その代償として失ったものは、確かに多かったです。
しかし、薬物を手放し、新しい仲間と共に手に入れた喜びは、失ったもの以上に大きく、そして多いものでした。
30年前、「なんで助けたんだ」と叫んだ私を、見捨てずにいてくれた仲間たちへ。
そして、今日一日を共に生きてくれるすべての仲間へ。
心からの感謝を込めて。
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