こんにちは、依存症のハッシーです。

現在お世話になっている木津川ダルクに来て2021年9月で8年になります。クリーンタイムは7年になります。

僕が、この木津川ダルクに繋がる経緯ですが、幼少期の頃はあまり記憶にはないのですが、母親に手を引っ張られて保育園に通っていたのを覚えています。記憶があるのは小学校あたりからで、低学年の時はあまり勉強をせずゲームに夢中になっていた子供で、高学年になるころには学校でいじめにあっていました。年上の子供から万引きを強要されたり、時には暴力を振るわれて悩んでいた時期もあり、他に誰も相談できる人がいなくて一人で悩んでいました。そのいじめからは小学校卒業と同時に解放されていて、中学校入学から不良仲間というか、悪い仲間とつるむようになっていきました。中学2年生から3年生の頃にタバコを吸うようになって行き、バイクを無免許で乗りまわしたり、問題を起こすようになって行きました。学校の校内放送で何度も相談室に呼び出されたりされていました。そしてこの中学3年生の頃にシンナーという物質を覚えました。

最初は父親が持っていたシンナーを興味本位で家の裏庭で友達と吸うようになったのがシンナーの始まりでした。その頃はシンナーを吸って「楽しい」という感覚があり、依存まではしていなかったように思います。その後、中学校を卒業しましたが、あまり勉強もできず、結局高校受験の前日まで友達と遊んでいました。何とか高校受験には合格し、通い始めたのですが、学校の勉強にはついていくことが出来ず、人間関係もあまり得意ではなかったように思います。結局、高校は半年ぐらいで中退してしまいました。その後は専門学校に通おうと、掛け持ちでアルバイトをしていた時期もあるのですが、途中で挫折してアルバイトも行かなくなってしまいました。その後、建築関係の仕事に就き働き始めるのです。まだ未成年でしたが、社会に出るとアルコールを飲む機会が与えられるようになり、上司と一緒に飲酒することが増えてきました。その頃は大人の仲間入りをした気分になって嬉しくて、どんどんお酒を覚えていった時期でもあります。しかしどんな仕事に就いても長続きはせず、転職を繰り返していました。

18歳になる頃には、運転免許を取得して車を購入し、毎日のように友人とドライブに出かけるようになって行きました。この頃にギャンブルも覚え始めました。ギャンブルはただ座っているだけで楽しいし、お金も手に入るので次第にのめりこんで行ったわけですが、気が付けば、給料日の当日にお金を使い果たしていたりして、常にお金に困っている状況でした。そうこうしているうちに、周囲では彼女が出来たり、結婚したりする同級生が出始め、頭の良い友達は大学に進学したりして行きました。頭が良くない自分、女性に対しても積極的になれない自分に劣等感を感じるようになり、周囲の人間に対して蔑む自分が出てきました。自信がない自分をごまかすためにシンナーを吸い、高揚感を得ていたのもこの頃です。酒とシンナーさえあれば生きていけると思い、どんどんと薬物に溺れていき回数も次第に増えていきました。成人になると、少しは真面目に働き出すのですが酒、シンナーは止まらず使いながら仕事に行っていたのを記憶しています。7、8年勤続していた職場もやがて休みがちになっていき、遅刻・無断欠勤をするようになって行きました。そんな勤務態度だったので、会社からやがて解雇されてしまう事態になりました。

仕事を失ってからというもの、暇と自由な時間ができることになり、「思う存分シンナーが吸えると」思うようになって行き、どんどん飲酒、シンナーの回数が増加していきました。やがて色々な症状が出始めるようになり、手の震え・言語障害・幻覚などに悩まされるようになって行き、ますます仕事ができるような状態ではなくなって行きました。それ以降、十数年もの期間シンナーを吸い続けて、お酒を飲んで過ごしており、薬物を使用していないと日常生活が送れないレベルにまでなって行きました。そんな中、実の兄が若くしてアルコール中毒で亡くなり、「次は自分の番だ」と思うようになって行きました。が、それでもシンナーは止まらず吸い続けていました。見かねた母が病院を手配してくれたのですが、病院嫌いの自分はなかなか治療に繋がろうとしませんでした。最後の方は通報によって実家に何度も警察が来るような状況になっていき、ついには保健所の職員も治療に繋がってもらうため、何度も実家に来るようになって行きましたが、それでも逃げて病院には行きませんでした。でもやがては追い詰められて、精神病院に入院することになって行きました。精神病院では特に問題は起こさなかったので、1クール(3か月間)での退院が出来たのです。その頃に紹介されたのが木津川ダルクという施設でした。繋がり始めの頃は、仲間と思える人も少なくて、回復しているという実感はなかったように思うのですが、長く繋がり続けているうちに仲間も増えていきました。

仲間の中には身体が不自由な人もいますが、悩んだり、苦しんだりしているのは自分だけではないんだ、と思えるようにもなり、五体満足で生まれてきたことに感謝もできるようになって行きました。現在に至るまで、色々なことに気づかされてプログラムに取り組んできましたが、最初は薬物さえ止めていれば問題は無いと思い込んでいました。プログラムが進むにつれ、自分の回復が進むにつれ、次第に考え方は変化していき、問題は自分自身の「生き方」にあるんだということに気づいていきました。この「生き方」を変えて新しい人生を生きていくには、12ステップが必要なんだという事にも気づいていきました。この12ステップを実践していく中で、自分の欠点とか、自分の問題点を改善していく、そのことに目を向けていけるようになりました。木津川ダルクに入寮中に父親がアルツハイマーで亡くなったりと、悲しい出来事が起こりましたが、周囲に仲間が居てくれたので乗り越えてくることが出来たように思います。素面の人生を送るようになって、責任や役割などの緊張感やプレッシャーが邪魔をして日常生活に困難さを感じることがまだまだあるのですが、日々仲間に支えられて生活できているんだなぁ~、と感じています。

現在は不定期ではありますがアルバイトにも行けるようにまで回復し、このアルバイトを始めてから約5年の月日が経過しました。そう思うと身体的には回復をしてきたなぁ~、と実感はしていますが、精神面・スピリチュアル面に関してはまだまだだと感じてもいます。しかし最初は声も小さく、対人関係も不得意で、人の中で生きることもままならなかった自分ですが、木津川ダルクに出会えたおかげで、またたくさんの仲間と知り合うことが出来たおかげで、ここまで回復できたことに非常に感謝しています。この依存症という病気は進行性で、「回復は出来るが治癒はしない病気」と言われています。まだまだ自分自身は回復の途上にある依存症者であり、このプログラムに従った生き方を実践していかないといけませんが、より良い人生を送るため、また今後も回復をし続けていくため仲間の輪の中で過ごしていこうと思っております。施設や自助グループではたくさんの仲間が回復している姿を見せてくれています。

自分自身もそうなれるように、今日一日ベストを尽くし生活していきたいと思っています。最後になりましたが、これからも色々な出来事や困難があるとは思いますが、それを喜びや、感謝の気持ちに変えてクリーンを続けて、乗り越えて行ける自分自身になっていきたいと思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。