生活保護で薬物依存症からの回復支援 ~カズと母さんの奮闘記~|更生のための刑事弁護を目指す弁護士西谷裕子のホームページより

今回は、母と一緒に生活保護を受けていた男性が、覚せい剤使用で逮捕されたけれど、ダルクに入所して回復支援に取り組むことを条件に保釈を受け、保釈中も生活保護の支援を受けて、回復軌道に乗った事例をご紹介します。

辛い過去があって、薬物依存症に陥り、苦しんでいた中で、保釈中も生活保護を受けて、回復軌道に乗っていった画期的なケースなので、是非ご紹介したいと思います。

ちなみに、このケースは「執行猶予中の再犯の事例」の事案で、言い渡された判決は「一部執行猶予判決」でした。

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東アジア薬物依存者回復支援者(DARS)養成セミナーのご案内

2019年2月23日(土)・ 24日(日)各日10:00~17:00を予定

開催地:龍谷大学深草キャンパス・紫光館4階法廷教室 (京都市伏見区深草塚本町67)

主催 :薬物依存者回復支援(Drug Addicts Recovery Supports:DARS)、龍谷大学犯罪学研究センター(CrimRC)

わたしたちは、この30 年余りの間、欧米の薬物対策モデルを導入し、民間主導の回復支援スキームを展開してきました。このような民間団体による回復支援のスキームを、東アジア地域でも展開するため、このたび、「東アジア薬物依存者回復支援者(DARS)養成セミナー」を開催することになりました。

ともすれば、内向きになりがちな回復支援活動を国際化するためのキック・オフと位置づけています。たくさんのご参加をお待ちしております。

セミナー参加費 資料代5,000円 懇親会3,000円
参加申し込みサイト:https://goo.gl/forms/OFsfINWCuIyXE8753

龍谷犯罪学研究センターWebページ
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/event/entry-3017.html

〈第1日目〉10:00開始
開会の挨拶
【企画の趣旨】
「日本の薬物政策の現状と課題 〜官主導? 民主導? それとも、その間か? 〜」
石塚 伸一 (龍谷大学犯罪学研究センター長)

【日本における市民主導の回復支援】
「ダルクの過去,現在,未来」 市川 岳仁(NPO法人三重ダルク代表)
「薬物裁判におけるアパリの活動」 尾田 真言(NPO法人アパリ 事務局長)
「刑務所における薬物治療」 谷家 優子(姫路少年刑務所 カウンセラー/大阪心理教育センター カウンセラー)
「回復における家族の役割」安髙 真弓(日本社会事業大学大学院 研究員)
「地域の医療・福祉における回復支援の現在」西念 奈津江(岡部診療所 ソーシャルワーカー)
「受刑経験者の回復支援」 五十嵐 弘志 (NPO法人マザーハウス 代表)

【東アジア地域における市民主導の回復支援】
「タイにおける薬物政策」 プラパプン・チェチャロエン(タイ・マヒドン大学教授)
「フィリピンにおける薬物政策」レニール・クリストバル(ファミリー・ウエルネス・センター代表)
「ネパールにおける薬物政策」スーヤス・ラジャハンダリ(ザ・リカバリング・グループ)
「台湾における薬物政策」任 國華(財團法人中國信託反毒教育基金會)
「韓国における薬物政策」チョー・スンナム(乙支大学 医師)
「日本における薬物政策」ディビッド・ブルースター(龍谷大学犯罪学研究センター 博士研究員)

【懇親会(有料)】

〈第2日目〉10:00開始
【東アジア地域における治療プログラム】
「条件反射制御法の理論と実践」 長谷川 直実(デイケアクリニックほっとステーション 院長 医師)
「日本におけるマトリクス・プログラムの展開」原田 隆之 (筑波大学 教授 臨床心理士)
「日本における12ステップとNA」加藤 武士(NPO法人アパリ・ウエスト/木津川ダルク 代表)
「日本におけるプロイエクト・オンブレの展開」近藤 京子(PHJ設立準備委員会 代表)
「タイにおける薬物治療」チャンチャイ・トングプラニット(タンヤラックコーンケン病院 医師)
「フィリピンにおける薬物治療」
マリアノ・ヘムブラ(ドン・ホセSモンフォート・メディカル・センター・エクステンション病院 医師)
「韓国の薬物治療」チョー・スンナム(乙支大学 医師)

【“えんたく”で分かち合う共通の課題〜アジアの回復支援の未来〜】
司会:土山 希美枝 (龍谷大学 教授)
ファシリテート・グラフィック:塩見 牧子 (龍谷大学犯罪学研究センター 嘱託研究員)
中村 正 (立命館大学 教授)
近藤 恒夫 (日本ダルク 代表)
原田 隆之 (筑波大学 教授 臨床心理士)
プラパプン・チュチャロエン (マヒドン大学アディクション研究修士課程プログラム 所長)
カンニカー・シッティポン(タンヤラックコーンケン病院 臨床心理士)
ベンジャミン・レイヤス(デンジャラス・ドラッグ・ボード)
長谷川 直実 (デイケアクリニックほっとステーション院長 医師)
大熊 啓介(NPO法人マザーハウス スタッフ)
猪浦 智史(国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター 研究員)
松浦 良昭(三河ダルク 代表/ソウルダルク 代表)

【閉会式】

研究助成:
国際交流基金アジア・市民交流助成プログラム
JST/RISTEX(社会技術研究開発事業)「安全な暮らしをつくる公/私空間の構築「多様な嗜癖・嗜虐行動からの回復を支援するネットワークの構築」(ATA-net)
文部科学省私立大学研究ブランディング事業「新時代の犯罪学創生プロジェクト~犯罪をめぐる「知」の融合とその体系化~」
協力:NPO法人アパリ、木津川ダルク

お問合せ: 龍谷大学 犯罪学研究センター (CrimRC)〒612-8577 京都市伏見区深草塚本町67
龍谷大学 研究部(人間・科学・宗教総合研究センター)
TEL 075-645-2184  FAX 075-645-2240
E-mail crimrc2016@ad.ryukoku.ac.jp
WEB https://crimrc.ryukoku.ac.jp/

本セミナーは、龍谷大学創立380周年を記念し、薬物依存者回復支援(DARS)と龍谷大学 犯罪学研究センター(CrimRC)が主催し、多くの関係団体・個人のご協力を得て実施するものです。

東アジア薬物依存回復支援専門家養成セミナーチラシPDFファイル

 

ダルクと私

私が生まれて初めてタバコや酒を覚えたのは小学校の高学年だったと思います。その頃はよくいう興味本位だけ。友達と大人の遊びをするのが面白いと感じるのは誰にでもあることかもしれません。その頃は常習になるわけでもなく、単なるお遊びの一環としてでした。

違法薬物と出会ったのは大麻ですが、これも最初からのめりこんだというわけでもなく、そういう遊びが楽しく感じたのですね。特別好きな趣味も無く、クラブ活動に没頭している同級生を尻目に、大麻で遊んでいる自分を特別な存在のように感じていました。

中学生の頃からスケートボードを始めて、いつの間にかサーフショップのひとに海へサーフィンをしに連れて行ってもらえるようになりました。もうかれこれ35年は前の話ですから、現在のようにサーフィンがメジャーなスポーツではなく、アウトローでアメリカンな感覚が自分にはぴったりハマったのでしょうか。人と違うことをしているのがどうも快感だったようです。

サーフィンには真面目に取り組みました。若いとあって、年上の先輩達にもかわいがられたおかげでそこそこ上達できた頃、水の上を人間が板切れ一枚でスイスイ滑るあの感覚は、何物にも代えがたい快感と喜びがありました。他では味わえない気持ちよさを得られるスポーツとあって、当然毎日のように海へ行きたくなります。しかしながら未成年で車の免許も無い私を、先輩達も仕事があり毎日海へなど連れて行ってもらえません。当然費用もかかります。そんな時に夜な夜なDiscoやクラブに通い始めるようになります。こんな話はよくあるパターンかもしれませんね。一度、何物にも代えがたい快感を得てしまうとそれと同等の喜びを得られる行為を探し求めます。薬物にのめり込むのにさほど時間はかかりませんでした。

サーフィンとドラッグ、スケボーとドラッグがセットになり、やがてはドラッグのみを追い求める生活に変わります。健康的な友達は去り、クスリを共有する仲間だけ。仕事やバイトに就くも長続きせず辞めるかクビになる。稼いだお金も使い道はクスリだけ。類は友を呼び、クスリのネットワークばかりが広がります。そんな生活が数年続いたのち、クスリ仲間が入院したり亡くなってしまったり。自分なりに多少は「止めよう」と思ったのか単身海外へ逃げるように渡航しました。

南半球の地で、クスリを体から抜いてもう一度サーフィンがしたい。俗にいう“返し太り”でぶくぶくに太った体のリハビリに取り組む覚悟でしたが、中々上手くはいきません。遊びほうけてまた大麻を吸ったりしながら一年少しして帰国。帰国後に仲間を誘いすぐの一発です。
地元に戻ることが怖くなり、遠く離れた東北で暮らすことを決め移住。身寄りも知人もいない土地での再出発はそんな楽なものではありません。それでもあの危険な地元の関係の中には絶対帰りたくない思いで、何とかハードドラッグを使うことなく何とか生計が立ち始め、仕事も安定し結婚、一児を授かります。

ところが、体を壊したのをきっかけに転職、転職を機にまた大麻です。その頃、パニック障害になり、精神科通院も始まります。苦労しながらも、周りからよく見られたい強い承認欲求でマイホームも建てますが、ふたを開けてみれば大麻栽培を最優先に考えた自分の城です。毎日起こる痙攣や発作に鬱々とした状態。定期的に夜のポットパーティ、サーフィンに打ち込みなおした数年間も処方ヨレとフラッピーな身体でズタズタ。職場では他人の悪口ばかり。書いていた自身のBLOGも炎上。その上株式投資にもハマり財産を使い果たします。15年勤めた職場も自主退職。自己破産の申請に破産専門の自助グループに通い、裁判ののち免責決定許可がおります。それからすぐに大震災で被災し、泣く泣く故郷へ。職探しを何十件もしてはみますが採用されません。そんな自分の居場所は布団の上だけでした。精も根も尽き果て鬱状態はさらにひどくなり、二度の自殺未遂の果て意識不明からの精神病院措置入院が待っていました。

精神科退院のあと、兼ねてから定期的に連絡をくれたり、生存確認をしてくれていたかつてのクスリ仲間が回復し働いているダルクに自ら繋がりました。京都ダルクには男女合わせて20名位の利用者がいましたが、みんな自分より若くて、そういう些細な事から仲間たちとの違い探しをし、入院中に大幅な処方薬の減薬からの断薬。離脱症状もあって苦しい日々が続きます。父親が要介護の認知症であることと、実家の僅かながらの仕事のために通所利用しながらの毎日はとても辛い日々となります。かつてなら、しんどいことはしたくない、不安や自己嫌悪に陥る自分でいたくない、過去のことをいつまでもクヨクヨ悩んだり、周りの人を恨んだりする中でクスリや大麻に逃げていたかもしれません。

しかし、ダルクには自分と同じような辛さを抱えた仲間達がいたこと。今日はしんどくても明日は何故かしら笑っている仲間達。私が食事をしたあとの食器を洗ってくれた仲間がいたり、ミーティングでの私の話を聴いて共感してくれる仲間がいたり、合わないなという仲間もいたけど、それぞれの仲間の中にかつての私自身がいるなと気づき始めます。

アディクション(薬物依存症)は病気であると理解していく中で、自分は随分長い年月を病気に囚われながら生き延びていたのだなと感じました。

ミーティングもそうなのですが、ダルクのプログラムはとてもシンプルで、スタッフや仲間達と掃除をしたり、献立を考え買い物に行ったり、料理を作り皆で食べる。その中で、そういったことも誰かや家族にしてもらって当たり前と生きてきていた自分がいることに気づきます。スポーツや畑での農作業のプログラムもあり、最初の頃は自分で進んで参加することもなかったですが、スタッフや仲間達が声を掛けてくれたり、出来ないながらも少しずつ楽しめるようになっていきました。

ダルクで仲間達と得た経験は、かつてない新しい経験と感じれたのだと思います。何をするにも自分中心、自分さえ良かったらいいのだというこの病気、やがて自分自身で疎外感を強く感じながら孤独を作っていきます。その先には「死」でしかないのですね。

素面の自分がダルクの仲間達とプログラムを通じて新しい経験をしていく中で、様々な感情が生まれ、その感情と向き合う中で気づくことがたくさんあります。でももう自分一人ではないということ。クリーンな期間があるとはいえ、仲間の中で過ごしながら自分自身の感情と向き合うことを忘れてしまうと、またしんどい状態が長く続くことになります。京都ダルクで素晴らしい経験をさせていただき、昨年から木津川ダルクでスタッフとして働かせていただいております。

入所している仲間達と毎日過ごしながら、仲間達に生まれる感情、「どう感じ、どうしたいのか」「その時に古い生き方で反応するのか、新しい生き方で対応していくのか」自分自身に問いかけながらも楽しみを見つけ、仲間達と共有していこうと考えます。

傲慢にならず、同じ目線で考え、先行く仲間達に自分がしてもらったことを少しでも新しい仲間に返せていければいいですね。

YSKZ