ダルクと私

私が生まれて初めてタバコや酒を覚えたのは小学校の高学年だったと思います。その頃はよくいう興味本位だけ。友達と大人の遊びをするのが面白いと感じるのは誰にでもあることかもしれません。その頃は常習になるわけでもなく、単なるお遊びの一環としてでした。

違法薬物と出会ったのは大麻ですが、これも最初からのめりこんだというわけでもなく、そういう遊びが楽しく感じたのですね。特別好きな趣味も無く、クラブ活動に没頭している同級生を尻目に、大麻で遊んでいる自分を特別な存在のように感じていました。

中学生の頃からスケートボードを始めて、いつの間にかサーフショップのひとに海へサーフィンをしに連れて行ってもらえるようになりました。もうかれこれ35年は前の話ですから、現在のようにサーフィンがメジャーなスポーツではなく、アウトローでアメリカンな感覚が自分にはぴったりハマったのでしょうか。人と違うことをしているのがどうも快感だったようです。

サーフィンには真面目に取り組みました。若いとあって、年上の先輩達にもかわいがられたおかげでそこそこ上達できた頃、水の上を人間が板切れ一枚でスイスイ滑るあの感覚は、何物にも代えがたい快感と喜びがありました。他では味わえない気持ちよさを得られるスポーツとあって、当然毎日のように海へ行きたくなります。しかしながら未成年で車の免許も無い私を、先輩達も仕事があり毎日海へなど連れて行ってもらえません。当然費用もかかります。そんな時に夜な夜なDiscoやクラブに通い始めるようになります。こんな話はよくあるパターンかもしれませんね。一度、何物にも代えがたい快感を得てしまうとそれと同等の喜びを得られる行為を探し求めます。薬物にのめり込むのにさほど時間はかかりませんでした。

サーフィンとドラッグ、スケボーとドラッグがセットになり、やがてはドラッグのみを追い求める生活に変わります。健康的な友達は去り、クスリを共有する仲間だけ。仕事やバイトに就くも長続きせず辞めるかクビになる。稼いだお金も使い道はクスリだけ。類は友を呼び、クスリのネットワークばかりが広がります。そんな生活が数年続いたのち、クスリ仲間が入院したり亡くなってしまったり。自分なりに多少は「止めよう」と思ったのか単身海外へ逃げるように渡航しました。

南半球の地で、クスリを体から抜いてもう一度サーフィンがしたい。俗にいう“返し太り”でぶくぶくに太った体のリハビリに取り組む覚悟でしたが、中々上手くはいきません。遊びほうけてまた大麻を吸ったりしながら一年少しして帰国。帰国後に仲間を誘いすぐの一発です。
地元に戻ることが怖くなり、遠く離れた東北で暮らすことを決め移住。身寄りも知人もいない土地での再出発はそんな楽なものではありません。それでもあの危険な地元の関係の中には絶対帰りたくない思いで、何とかハードドラッグを使うことなく何とか生計が立ち始め、仕事も安定し結婚、一児を授かります。

ところが、体を壊したのをきっかけに転職、転職を機にまた大麻です。その頃、パニック障害になり、精神科通院も始まります。苦労しながらも、周りからよく見られたい強い承認欲求でマイホームも建てますが、ふたを開けてみれば大麻栽培を最優先に考えた自分の城です。毎日起こる痙攣や発作に鬱々とした状態。定期的に夜のポットパーティ、サーフィンに打ち込みなおした数年間も処方ヨレとフラッピーな身体でズタズタ。職場では他人の悪口ばかり。書いていた自身のBLOGも炎上。その上株式投資にもハマり財産を使い果たします。15年勤めた職場も自主退職。自己破産の申請に破産専門の自助グループに通い、裁判ののち免責決定許可がおります。それからすぐに大震災で被災し、泣く泣く故郷へ。職探しを何十件もしてはみますが採用されません。そんな自分の居場所は布団の上だけでした。精も根も尽き果て鬱状態はさらにひどくなり、二度の自殺未遂の果て意識不明からの精神病院措置入院が待っていました。

精神科退院のあと、兼ねてから定期的に連絡をくれたり、生存確認をしてくれていたかつてのクスリ仲間が回復し働いているダルクに自ら繋がりました。京都ダルクには男女合わせて20名位の利用者がいましたが、みんな自分より若くて、そういう些細な事から仲間たちとの違い探しをし、入院中に大幅な処方薬の減薬からの断薬。離脱症状もあって苦しい日々が続きます。父親が要介護の認知症であることと、実家の僅かながらの仕事のために通所利用しながらの毎日はとても辛い日々となります。かつてなら、しんどいことはしたくない、不安や自己嫌悪に陥る自分でいたくない、過去のことをいつまでもクヨクヨ悩んだり、周りの人を恨んだりする中でクスリや大麻に逃げていたかもしれません。

しかし、ダルクには自分と同じような辛さを抱えた仲間達がいたこと。今日はしんどくても明日は何故かしら笑っている仲間達。私が食事をしたあとの食器を洗ってくれた仲間がいたり、ミーティングでの私の話を聴いて共感してくれる仲間がいたり、合わないなという仲間もいたけど、それぞれの仲間の中にかつての私自身がいるなと気づき始めます。

アディクション(薬物依存症)は病気であると理解していく中で、自分は随分長い年月を病気に囚われながら生き延びていたのだなと感じました。

ミーティングもそうなのですが、ダルクのプログラムはとてもシンプルで、スタッフや仲間達と掃除をしたり、献立を考え買い物に行ったり、料理を作り皆で食べる。その中で、そういったことも誰かや家族にしてもらって当たり前と生きてきていた自分がいることに気づきます。スポーツや畑での農作業のプログラムもあり、最初の頃は自分で進んで参加することもなかったですが、スタッフや仲間達が声を掛けてくれたり、出来ないながらも少しずつ楽しめるようになっていきました。

ダルクで仲間達と得た経験は、かつてない新しい経験と感じれたのだと思います。何をするにも自分中心、自分さえ良かったらいいのだというこの病気、やがて自分自身で疎外感を強く感じながら孤独を作っていきます。その先には「死」でしかないのですね。

素面の自分がダルクの仲間達とプログラムを通じて新しい経験をしていく中で、様々な感情が生まれ、その感情と向き合う中で気づくことがたくさんあります。でももう自分一人ではないということ。クリーンな期間があるとはいえ、仲間の中で過ごしながら自分自身の感情と向き合うことを忘れてしまうと、またしんどい状態が長く続くことになります。京都ダルクで素晴らしい経験をさせていただき、昨年から木津川ダルクでスタッフとして働かせていただいております。

入所している仲間達と毎日過ごしながら、仲間達に生まれる感情、「どう感じ、どうしたいのか」「その時に古い生き方で反応するのか、新しい生き方で対応していくのか」自分自身に問いかけながらも楽しみを見つけ、仲間達と共有していこうと考えます。

傲慢にならず、同じ目線で考え、先行く仲間達に自分がしてもらったことを少しでも新しい仲間に返せていければいいですね。

YSKZ

京都で薬物問題を考える。 〜薬物依存からの回復と地域社会〜

広報にご協力ください。

2018年 12月26日(水)13:15-14:45

龍谷大学 刑事政策 公開授業 担当者:石塚伸一

テーマ 「京都で薬物問題を考える。 〜薬物依存からの回復と地域社会〜」

企画の趣旨:薬物依存からの回復については、DARCなどの民間団体が、大きな役割を果たしています。当事者の回復のためには、家族や地域社会の支援が不可欠です。ところが、回復施設ができるとなると地域の人たちは不安をいだき、ときに排除の意志を表明することも少なくありません。
今回は、回復支援に携わってきたプログラム・コーディネーターをお招きして、薬物問題の現状と課題について考えてみたいと思います。
この公開授業には、ATA-net が協力しています。

対象:刑事政策受講生および薬物問題に関心のある方。一般市民の方も、ご自由に参加していただけます。

会場:龍谷大学 深草学舎 紫光館4階 法廷教室
〒612-8577 京都市伏見区深草塚本町67

お問い合わせ:龍谷大学 石塚伸一研究室
[TEL] 075−645−8466
[E-mail]ishizuka@law.ryukoku.ac.jp

第6回 共に安心して暮らせる 京都デザインフォーラム 「さまざまなバリアをこえて 共に生きる社会をめざして」

2019/1/27(日)
第6回 共に安心して暮らせる 京都デザインフォーラム
「さまざまなバリアをこえて 共に生きる社会をめざして」

障害を持つ人や、さまざまな立場の人とともに、話し合いましょう!
バリアをこえて、共に生きることができる社会づくりについて、みんなで考えたいと思います。

日時:2019年1月27日(日) 12:50~16:30(開場12:00)

会場:「故郷の家」雲史ホール
http://www.kokorono.or.jp/kyoto/kyoto_access.html
京都市南区東九条南松ノ木町47
・地下鉄 九条駅 徒歩15分
・市バス 九条河原町 徒歩10分
※駐車場はありませんのでご注意ください。近辺にコインパーキングはあります。

参加費:500円(資料代)
※手話通訳・要約筆記・点字資料の必要な方は 1月17日までに下記までお知らせください。

主催:障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会
http://www.jouyakukyoto-hamon.com/
(事務局:南区東九条松田町28 メゾングラース京都十条101 日本自立生活センター気付
TEL: 075-671-8484 FAX: 075-671-8418 E-mail: jcil@cream.plala.or.jp)
社会福祉法人京都府社会福祉協議会
後援:京都府(申請中)・京都市・京都新聞社会福祉事業団・NHK京都放送局

*プログラム
12:50 開会 あいさつなど
13:00 落語家 桂福点氏の講演
「障害を表現しながら共に生きる」
14:10 木津川ダルク代表 加藤武士氏の実践報告
「ダルクの活動を通して地域社会のつながりについて考える」
14:40 コメンテーター 牧口一二さんからのコメント
「地域社会がつながっていくキーワードを見つけたい」
15:00 休憩と移動
15:15 グループに分かれて話し合い
(それぞれの立場から地域社会のつながりについて語り合う)
16:15 各グループからの報告
16:25 あいさつ
16:30 閉会

*プロフィール

<桂 福点(かつらふくてん)氏>
本名:枡川明。1968年 兵庫県川西市生まれ。上方落語協会会員。先天性緑内障のため中学生の頃に視力を失ったが、子供の頃から音楽に親しみ、1986年大阪芸術大学に入学。音楽療法を研究し、卒業後、バンド「お気楽一座」を結成。1996年 桂福団
治師匠に弟子入りし、古典落語を学びながら独自の音楽漫談や「お気楽一座」の活動にも取り組む。
2009年9月、師匠より「桂福点」の名前をもらい、現在、上記の活動と共に、音楽療法士として診療所、作業所等でユニークな音楽療法もおこなう。また「一般社団法人お気楽島」理事長として、大阪市東淀川区淡路に生活介護施設「お気楽島」を開設、さまざまな理由で社会に出て行きづらい方々の集いの場・創作の場として利用してもらっている。過去に出演した番組―NHK総合テレビ「ぐるっと関西お昼前」「バリアフリーバラエティ」「24時間テレビ2016」など多数。

<加藤 武士氏>
特定非営利活動法人 アジア太平洋地域アディクション研究所(NPO法人アパリ)が運営する木津川ダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center)代表。「ダルク」は薬物依存症者の当事者が当事者を支援する施設で、薬物使用の経験者がスタッフを担っている。自助グループの活動を通じて「孤立化」を防ぎ、回復を手助けしている。

<牧口 一二氏>
1937年大阪市生まれ。1才の頃ポリオにかかり「障害者」の資格を得る。6才の春、母におぶわれて小学校に出向くが、「空襲の時に危険」と入学を断られる。敗戦後、また母におぶわれて学校に行くと「お待たせしました」と3年遅れの1年生。10才(2年生)の夏休み、父が松葉づえを買ってくれた。夢中で立ち上がり、歩くこと・階段の昇り降りを覚える。2学期から1人で通学できるようになる。以後、60才まで松葉づえ人生、歩行歴50年、免許皆伝の腕前に。高校を卒業後、大阪美術学校(大阪芸大の前身)デザイン科を卒業するも全く就職できず(1年半に54社)、社会への扉開かず。2年間の精神的孤立状態。美校を卒業後4年で4人の学友が共同経営のデザイン会社を設立。その会社に転がり込む( やっと26才にて社会へ)。この体験から仕事の傍ら障害者運動に参加。駅にエレベーターの設置要求などバリアフリーを広げる。学校巡りをして障害者のイメージチェンジを試みる。60才から車いす。
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