孤立の病 薬物依存症の出口は

全4回
孤立の病 薬物依存症の出口は
覚醒剤など薬物の再犯事件が報じられるたび、「やめる気がない」「手を出したらやめられない」と考えられがちです。依存症のループからは抜け出せないのでしょうか。治療の視点に立つと違った側面が見えてきます。

第1回
薬物依存、7万円で見失った自分 それでも傍聴席で待つ仲間がいた
「ええ天気やで。声出してこ~」京都府木津川市のグラウンドで5月中旬、ソフトボール大会が開かれていた。エラーが続くと、「きょうは覚醒剤打ってないから調子悪いんやろー」。そんな冗談が飛ぶ。ボールを追ってい・・・[続きを読む]

第2回
「薬物をやめる気がない」という誤解 専門医「再使用も含めて回復」
いったんはやめていた違法薬物を、再び使ってしまう。覚醒剤などの再犯事件が起きるたび、「やめる気がない」「一度手を出したらやめられない」とみられがちだ。私たちの体をむしばむ違法薬物。一度、依存症のループ・・・[続きを読む]

第3回
「薬物なくても笑える」 断薬と再使用の5年、見つけた依存症の出口
頭がのけぞり、硬直する。手が震え、思うように物がつかめない。「死ぬかもしれん」制御できない体をもてあましながら、恐怖がこみ上げた。すでに、妻は子どもを連れて出て行った。広くなった部屋で、さんざん大麻を・・・[続きを読む]

第4回
「必要なのは刑罰より治療」 日本の薬物政策の転換を訴える刑法学者
薬物の乱用を防ぐ政策として、日本では取り締まりと刑罰に重点がおかれてきた。しかし、薬物と刑事政策の関係に詳しい園田寿・甲南大名誉教授(刑法)は「刑罰による薬物政策に合理性はあるのか」と疑問を投げかけ、・・・[続きを読む]

 

高嶋至氏お別れ会のご案内

令和6年8月20日

各位

特定非営利活動法人びわこダルク 猪瀬 健
一般社団法人回復支援の会 加藤 武士

謹啓
去る8月16日、元東近江ダルク代表であられた高嶋至様がご逝去されました。
なお、葬儀は故人のご遺志により近親者のみで執り行われるため、出棺時のお見送りのみとなります。8月22日(木)8時30分より少しの時間を頂いております。
つきましては、あらためて、10月8日(火)午後より明日都浜大津・ふれあいプラザ・ホールにてお別れ会を執り行う予定です。
ご臨席賜りますようお願い申し上げます。
生前のご厚誼に深く感謝申し上げ、謹んでご通知申し上げます。
謹白

お見送り日時:令和6年8月22日(木)8時30分より
場所:天恵ホール(滋賀県大津市雄琴3丁目3−1)

斎場をお借りしている訳ではございませんので、献花はお断りしております。献花はお別れ会の時にしていただけると幸いです。

お別れ会日時:令和6年10月8日(火)13時〜16時
場所:明日都浜大津・ふれあいプラザ・ホールにて

また、当日は平服にてお気軽にご参加くださるようにお願いいたします。
以上

高嶋至_お別れ会のご案内

木津川ダルクに繋がって

私は木津川ダルクに繋がって、来月で一年になります。私の年齢は43歳です。
私は薬物依存症で、14歳の頃からシンナーが止められず、過大に刑務所にも入ってきました。ダルクに繋がったのは今回で2回目です。
私の過去の薬物での経験をお話しします。

私は過去にシンナーを吸って、自分自身と家族や友人を傷つけてきて、自分ではどうすることも出来ない状態になりました。
私には双子の弟はいて、その双子の弟も同じシンナーに依存していて、現在は別のダルクに入所しています。私はシンナーを吸って、何もかも失いました。シンナーを買う為に、家財道具を全て売って薬代に当てたり、薬でおかしくなり、一日中家で引きこもり、薬で何かに追われている強迫観念に囚われ、暗い部屋の中を包丁を握りしめて暴れていました。私は弟と車に乗っている最中、両親と出逢わせた時に、薬を止めるように言われ、とても腹が立って両親を轢き殺そうとした事もあります。とにかく、頭の中は薬を使う事しかありませんでした。

何もかも嫌になり、一人ぼっちになり、毎日薬を使い続けて、逃げるように警察に捕まり、留置場に入った時には、「あぁ、これでやっと薬が止められる、刑務所に入って三食ご飯を食べられる」と安心しました。しかし、刑務所から出ても仕事は続かず、少しの心の余裕ができると、「今だったら薬を上手に使えるんじゃ無いか」と思い、再使用の繰り返しで、私は他の事も含めて、過去に7回刑務所に入りました。

自分の人生の中で、人生の基礎を作って行かなければならない20代の殆どを、薬を中心とした刑務所ばかりの生活で、大切な時間を失って行きました。そして、行きついたところが、ダルクです。初めてダルクに繋がったのは、7年前で、神戸ダルクに繋がりました。
その時、初めて施設長さんに言われたことは、「とにかく苦しかったんだよね、一緒に回復していこう」と、温かく迎えてくれました。
その時は、回復施設に対しても、そこに入っている人に対しても、自分自身にも何も信じれなかったのですが、ダルクの回復プログラムを受けていく内に、少しずつ自分の薬で傷ついた感情が癒され、同じ傷を抱えた仲間と共感し、ぶつかり合いながら、本当に何年振りに他人の前で涙を流しました。

ダルクに繋がって良かった事は、自分がシラフでやりたかった事を経験できる事です。私は、薬を使っていない時は、身体を動かす事は好きで、キャンプなども好きで、薬を使っていたときは内向的で引きこもっていました。ダルクで薬を止めるづけることはとてもしんどいけれど、一人じゃ出来ないシラフの楽しみ方を教えていただきました。


そのほかは、”自分自身を知る”という作業を、認知行動療法ミーティングを通じて、自分には薬を使う事だけではなく、生きる意味や価値がある事に気づかせてもらい、今まで全然自分を大切にしてなかったし、薬を中心とした考え方で、全く周囲の人の気持ちを考えず他人の所為にしたり、平気で嘘を付いたり、自分をごまかしたりして、そんな自分が嫌いになり、全く自分の良いところを見たり変えていける所があるのに、変えていこうとしなかったし、その事にすら気付きませんでした。
自分が周囲に迷惑を掛けてきた事で、自分をせめて、負い目、引け目を感じて支えになってくれている人に対して、”助け”を求める事が出来ませんでした。ダルクに来て初めて、薬を使うこと以外で、少しの勇気をふり絞って助けを求める事が出来ました。

自分の生きづらさを、ダルクで共感し分かち合いながら、今では周囲の仲間たちに慕われながら、次に繋がった仲間にメッセージを伝えるまでになりました。
今、私は木津川ダルクに来て一年になります。この薬物依存症は一生治らない病気と言われていますが、今、私自身がダルクに来て思うことは、自分の回復について、薬を使ってしまう一概には言えない原因、心の問題を見つめて仲間に助けを求めて、ダルクで教えてもらった”正直になる”事で、回復の道が始まるという事を、まだまだ正直にはなれていないけど、仲間たちと共に、一日一日を大切にして、薬を止め続ける日々を送っています。
薬を止め続ける為に必要なことは、何度も言いますが、自分に正直に助けを求める事、薬物依存症は”病気”だということを、自分自身がまず認める事が、回復の始まりだと思います。あと、何より自分の人生を楽しむことを考えて、これからもダルクでの生活を人生の1ページとして、大切に生きて行こうと思います。

チャン