『夏の思い出!』

こんにちは、木津川ダルク スタッフの金銅良明です。皆さんから、ヨシさん〜と呼ばれことが多くなりました。嬉しいことです。

今年は、短い梅雨と猛暑が印象的でした。

7月はじめから、暑い日がジワジワと迫ってきて、酷い暑さは、お盆まで続いている状況であります。現在、木津川ダルク入所9名 通所者1名の状況の中なんとか落ち着いた感じでやっています。

施設での行事としては、名古屋で行われたNA日本コンベンションに施設全員参加して無事に楽しく過ごし帰ってこれたこと喜ばしいことです。

メインスピーカーの話しに涙した入所メンバーもいました。
宿泊したゲストハウスの朝食のパンを待ちわびたのも良い思い出でしたね。

名古屋では、パンにあずきとマーガリンのようで…。
とっても美味しかったです。夜は、宿泊していたゲストハウス近くの銭湯に行ったりと、仲間とのゆったりとした時間を楽しみました。

コンベンションの参加がはじめとのメンバーもいて、「素晴らしい!」、「感動しました」など、いろいろと感想を述べたメンバーがいたことも喜ばしいことでした。

ダメなところ、反省点もありましたが、思い出は、笑える良いことばかりでしたね。

また来年も一緒にコンベンションに行けると良いですね。

8月12日(日)、私のプライベートでサーフィンに行く機会があり、入所メンバーの中から希望者3名と一緒に、和歌山に行ってきました。

お盆なのに、台風きているのに、海に行くのかと、お叱り、注意してくれる方もいましたが、理由は、今年は、私の母95歳が1月30日に亡くなったこともあり、初盆を迎えています。母が亡くなり、月命日には、自宅仏壇のお光を一日中灯す日を続けています。「この時期にサーフィンか」と姉さんから叱られましたが、日頃、自宅にてお仏壇に手を合わせ毎日を過ごしてました。この日もお仏壇のお光を一日中つけて手を合わせてから、自宅出発して和歌山でサーフィンを楽しんでいる自分がいました。一緒に行った3人は、海水浴、シュノーケルを楽しんでリフレッシュして帰りは、和歌山ラーメンを食して、ご満悦の様子でした。メンバー皆んなと協力して、楽しい1日を過ごせました。

時折、母の過去の写真をSNSなどで見ると今でも涙が溢れそうになる時がありますが、けれども悲しみにくずれることなく、木津川ダルクの存在があり、スタッフがいて、入所者がいて、ヨーガ指導の先生、NADAの先生、支援者、自助グループの仲間がいて、たくさんの関わりやつながりに励まされ、勇気と力をもらえているにちがいありません。

亡き母も仲間とサーフィンをしている息子の事を天国で安心して喜んで見てくれているはずです。感謝しています。自分としては、ゆっくりとなんでもない平安な日々を楽しめると良いと思ってます。

これからも木津川ダルクご支援のほど宜しくお願い致します。

アパリ東京本部ニュースレターNo.90

「ひとりではない」

はじめまして。薬物依存症のてつです。昨年の12月13日に刑務所から仮釈放で出所しました。現在は京都の木津川ダルクで入寮生活を送っております。私は現在40歳です。覚醒剤を初めて使ったのが24歳なので16年間の使用歴になります。その間に三度の逮捕、二度の刑務所生活を経験しました。

私が覚醒剤に手を出すきっかけになったのは、あるパチンコ店からの帰りに売人から声を掛けられた事でした。16年前の当時、私の実家から程近くの隣町では、路上に売人が立ち通行人に声をかけて薬を売っているというような場所でした。その様な場所でしたが、「自分には関係ないだろう」と特に警戒もすることなく、密売地域のど真ん中にあるパチンコ店に通っていました。ある日そのパチンコ店でイベントがあったので、いつものように出掛けて行き、少しの勝ちを得ることができました。

その帰り道です。コンビニに立ち寄ろうと思い歩き出したところを、若い男に声を掛けられたのです。手招きされ近づくと「兄ちゃん、エスあるで」と切り出してきました。パチンコで少しお金を得ていた私にとって特に高いと感じる値段ではありませんでしたし、使用方法もアルミホイルに乗せてライターで炙り煙を吸うだけ、そして何より私は好奇心に打ち負け購入してみる事にしたのです。

初めての使用の際は、本当に薬が効いているのかどうかよく分からない状態。少し体が軽くなたかなぁ?という感覚と、眠ることが出来なかったことだけを覚えています。

その次に使ったのが、仕事の夜勤明けでした。本当に疲れ果てて家に帰ったのですが、なんとなしに覚醒剤を使うと、疲れが取れた感じがし、眠ることも無くそのままパチンコを打つことができるようになりました。また、パチンコやスロットを打つのが、いつもより格段に面白く感じられるようになりました。体のレスポンスが上がった感じで、集中力も上がり、スロットを打つ際には、リールの絵柄が止まって見えるようにさえ感じたものです。夜勤明けで疲れ切っていても、疲れを感じず、一日中パチンコが楽しめる。正直、こんなに素晴らしい、楽しいものはないと感じました。今まで薬を使わない素面の状態で楽しめていたパチンコが、だんだん薬のない状態だと楽しめないというような状態になります。それからは休日の前の夜勤後には薬とパチンコをセットで楽しむことが増えました。

そして、真昼間から仕事帰りのスーツ姿で密売地域をうろうろしていた私は、警察官にすぐに目を付けられ、職務質問で一回目の逮捕をされることになるのです。使用後約三カ月後のことです。

判決は1年6カ月、執行猶予3年。取り調べ後すぐに保釈で出たので拘置所に通うこともなく、職場も10日程の病欠扱いとなり、逮捕以前と表面上は何も変わらない生活に戻ることが出来たのです。今振り返ると、「重大なことをしでかした」という感覚は全く持っていませんでした。家族に対しても、表面上では申し訳なさそうに反省している振りはしていましたが、本当に表面上だけのことだったんだなと今では思います。その時点では私自身が薬物依存症に陥っているなどとは夢にも思っていませんでした。

しかし、ともかく家族の監視の目も厳しくなり、執行猶予中だったこともあり、それから五年間ほどは薬に手を出すこともなく、またパチンコ店からも遠のき、仕事に集中して過ごす日々が送れていたように思います。再び薬に手を出すようになったのは、またしてもパチンコ。転職した職場の先輩にスロット好きの方が多く、夜勤明けに連れ立ってパチンコ店に通うようになります。そうなると、過去の薬を使っていた感覚が蘇り、再使用に至るまで時間はかかりませんでした。誘われた時にしか行かなかったパチンコ店も自主的に足を向けるようになり、またもスーツ姿で密売地域をウロウロ。そして、当然の如く三カ月程で二度目の逮捕をされ、今度は刑務所に入ることになったのです。

二回目の逮捕では本当にたくさんの大事なものを失いました。家族・知人からの信頼、今まで培ってきた仕事の実績、仕事、お金。そんな落ち込んだ心境の中、初めての受刑生活が始まりました。

人から怒鳴られたことなどなかった私にとって、刑務所での生活はとてもショックが大きく、後悔の念と不自由な生活は「もう二度と刑務所に戻りたくない」と私に十分思わせるものでした。そこで初めて「もう薬は使わないでおこう」と思ったのです。

しかし、その時点では未だ自分が依存症であることは認めていません。自分の力で止められる自信すら持っていました。自分が薬を使ってしまうのは、環境が悪いからだ。密売地域から離れれば大丈
夫だ。という思いから出所後は地元から離れた場所に職を得ます。幸い新天地では、仕事も評価され、役職にもつけ、結婚を前提に付き合う女性もでき、本当に幸せな五年間を送ることができました。

すっかり刑務所で経験した後悔の念や不自由な生活、そして自分の問題を忘れ、普通の社会人になれたと勘違いした私は、再び自分から依存症の罠に足を突っ込みます。結婚の為により良い給料の職場を求め、以前「自分にとっては危険な場所」として離れた地元に戻ることにしたのです。それでもしばらくは真面目に仕事をし、彼女とも良好な関係を築けていました。しかし、良い給料をもらうには当然高い能力・スキルが必要です。出所後全てがとんとん拍子にうまく進んでいた私は自分を過信していましたが、人生には必ず躓きがあるものです。格段にレベルが上がった仕事内容に能力が追い付かず、足りない能力を補う為には時間でカバーするしかありません。
休みも取らず、睡眠時間を削り仕事に取り組むようになり、その結果大事だった彼女を振り返ることもなく仕事漬けの生活をするようになりました。そのような生活を送ると当然彼女とも別れる事になってしまい、仕事も苦しく、全てが上手くいかなくなりました。そこで私は壊れました。

職場を変え再出発を図ろうとしましたが、失った彼女、傷ついた自尊心、仕事へのモチベーションなどが私を苛み、当時流行っていた合法ドラックへと逃げてしまったのです。そして合法ドラッグが違法になると、再び覚醒剤を使用が始まり約一年程で再度刑務所に行くこととなります。家族からも見捨てられると思っていましたし、私自身ももうこれ以上家族に迷惑を掛けたくないという想いも強く「もうこれ以上関わらなくていい。縁を切ってください」と手紙を書きました。出所後は薬の売人になろうとさえ考えていました。全てがどうでもよかった。何もかもが面倒だった。

そんな時です。弁護士の先生を通じて心理カウンセラー、そしてダルクと繋がる事になりました。母親からも手紙が来ました。「私は怒っています。情けないし、私自身を否定したくなる。今度こそ更生してください。心から願っています。」そう悲痛な声が綴られていました。私は自分のことしか考えず、一方的に縁を切ってくれという手紙を出したにも関わらず、家族は私を見捨てませんでした。

そのことがあって以降私は再び「薬をやめ続けていきたい」と思うようになりました。自分一人の力では薬をやめ続けることは出来ない、そして自分の持っている問題と向き合わなければ、また同じことを繰り返すであろうことに思い至ります。それから刑務所での一年間は「なぜ薬を使ってしまうのか?」そして「どうしたら薬をやめ続けることができるのか?」について考えました。自分を省みた時、私の本当の問題は薬にあるのではなく、プライドの高さや、人に弱さを見せられない性格等、自分を追い込む傾向があり、結果として薬に逃げていたのです。自分の弱さ、臆病さ、問題を話せる環境、仲間が欲しかった。そして出所後は木津川ダルクに入寮する決意をしたのです。

今私は入寮して7カ月を迎えようとしています。入寮当初は毎日イライラしていました。将来の生活への不安や仲間との関係、思い通りにならないことばかりです。イライラをため込み、しんどく感じる毎日でした。ですが、ダルクのプログラム、NAのミーティングに取り組んでいると、正にその感情が私の問題であると気付けたのです。今はそのような負の感情をミーティング、仲間とのフェローシップ、そしてダルクのスタッフに話すよう心掛けています。そして、仲間の話に耳を傾けること、共感すること、自分も仲間も同じなのだと思えること。その事に勇気をもらっています。ご飯を一緒に作ったり、そうじをしたり、ヨガに取り組んだり、プログラムに取り組むにつれて少しずつ「自分は一人ではない」と思うことが出来るようになりました。

ダルクに入ってからの6カ月で、多分私は何も変化していませんし、成長もしていません。

薬を使用したくなる事は今はまだありませんが、相変わらず自分勝手な考えで行動することもあります。ですが、そんな折、仲間の存在が私を少し立ち止まらせてくれます。私は今、仲間と共に回復の道を歩き始めたのです。

「JUST FOR TODAY」今日一日一所懸命に。仲間と共に。
イライラする日、不安に感じる日、悲しい日、怒っている日、いまだ様々な感情に翻弄される私ですが、日々自身と向き合い、仲間と共に回復の道を進みます。

そして、いつか自然に笑える本当の自分を取り戻せる日が来ると信じています。

アパリ東京本部ニュースレターNO.89

仲間がいてくれること

矯正施設の中でフェローシップニュースの記事を自分自身読み元気をもらえていたので僕も今の自分の精一杯を書かせてもらいたいと思います。

今、この原稿を書き始めていて4年と少し前の刑務所に行かなければならない2度目の逮捕時のことを思い出したりもしました。

当時の自分は薬物でメチャクチャな生き方になっていましたが薬物を使いながら(僕の場合は覚せい剤とエリミンです)仕事もしっかりして家族や大切な人を大切にしてと意外とまともな思いを持ちやっていることはめちゃくちゃですが自分の人生何とかするんだという思いで必死でした。

そして、2度目の逮捕で刑務所に行かないといけない状況となり、なんで自分はこんなことになってしまうのか、何が自分の思いと反対の結果を招いているのか、何が邪魔となっているのかと考えた時、初めて自分の人生において薬物が邪魔なものとなっていたこと覚せい剤とエリミンといった薬物に頼り切って生きていること自分が薬物依存症であることを認めることができました。

薬物をやめなければ自分の人生どうにもできないし、大切な人を大切にすること思うこともできないということに気付かされ、僕の回復の人生は始まりました。僕が木津川ダルクに入寮していたのは、4年と少し前に執行猶予中に2度目の逮捕をされたときに保釈をいただいたときでした。

保釈中にアパリの司法サポートを通して繋がれた病院での治療、ダルク、NAでの回復プログラムへの取り組みなどを認めていただき再度の執行猶予をいただけました。

高裁でひっくり返ったりで最高裁までいき刑務所に行くことになりましたが地裁での有り難い判決をいただけたおかげで病院での治療に4ヶ月半、ダルクでの入寮生活約1年という大切な時間を実刑が始まる前に過ごさせてもらうことができました。

そして、昨年の4月末に2年8ヶ月の刑期で仮釈放を7ヶ月半ほどいただき、ちょうど2年間を矯正施設で過ごし出所してくることができました。

現在は7ヶ月半の仮釈放も無事に終わり、刑期を満了することができ、出所してからも10ヶ月おかげ様で薬物を使うことなくクリーンで過ごさせてもらえています。

出所してからダルクやNAに繋がらずに焦る気持ちもある中もう一度ひとりでやり直そうとしていたらもしかしたら再使用していたかもしれないなというのが正直なところかもしれません。

僕は刑務所に行く前に1年間毎日NAにも行き、仲間とも深く繋がれ、仲間との繋がりやミーティングの大切さも感じていたはずでしたが、出所して1週間は緊張と不安でNAには行けませんでした。その緊張と不安は刑務所では自分自身に向けられていた目が一気に外に向き、まわりからどう思われるかということや、刑務所から出てきても美味しいものを食べられた家族に会えた以外は特にいいこともなく、待っていたのは普通に流れている社会があるだけでその流れに薬物を使わない人の目を欺けない、自分をごまかせない、ありのままの正直な自分で溶け込めるのか、受け入れてもらえるのかという恐れや、あるがままの自分の現実の人生と直面して受け入れられずに恐れていたところからきていたんだと思います。

そんな状態からNAに行くきっかけをくれたのも木津川ダルクの施設長、スタッフの方々からの「帰ってきてんの知ってんねんで〜。遊びにおいでやぁ」という電話での言葉でした。そして、ダルクに遊びに行かせてもらい、その夜にダルクの仲間達と一緒にNAに行くことができたのが出所後初めてのNAでした。

それから6ヶ月は1日も休まずにNAに足を運び続けました。

仲間は覚えていてくれおかえりと温かく迎えてくれました。木津川ダルクにも月に2回程泊まりにも行かせてもらえたりで少しずつ現実を生きていく勇気と力を再び吹き込んでもらえたように思います。社会に帰ってきてダルクに行かせてもらった時、初めて会う仲間もいましたが温かく迎えてくれたこと嬉しかったです。

共に入寮生活をしていた仲間に再会できたことも嬉しかったです。

そして何より入寮生活を共にした仲間がクリーンタイム4年を迎え仕事もしっかりとして僕が知っている時よりも何倍も元気にたくましくなっている姿を見せてもらい自分もクリーンで粘り強くやっていけば回復の人生を力強く歩んでいけるんじゃないかという力をもらえたりもしました。

僕にとっての木津川ダルクはアナザースカイ的な大切なところでもあります。NAのホームグループに入らせてもらったことも大きな力をもらえているように感じています。

出所後6ヶ月が経ちNAに行くことも習慣のようになり、ハイヤーパワー、NA、仲間のことを信じる心も再びでき元気になってきた僕は介護施設に面接に行き、週3日1日3時間アルバイトに行かせてもらえるようになりました。

面接も働くのも実に4年ぶりということでめちゃくちゃ緊張しました。面接では、依存症のこと矯正施設に行ったことなどは言っていませんが、他の緊張や不安が人より強いことや生き辛さの部分なんかは正直に話してしまっている自分がおり、面接やのにNAみたいに正直に話しすぎたな、しまったなと思いましたが、なんとか週3日1日3時間からやってみましょうと受け入れて下さりました。

そして実際に働かせてもらえることになりました。自分の場合はまさに面接の時や新しい職場などで人からよく見られたい受け入れてもらいたいといった場面で薬物の効果に頼りきりになり生きてきたので僕の一番の薬物を必要とする状況に直面することになりました。

薬物があれば人間関係も楽にスムーズにいき、うまく自分のことも取り繕うことができいい感じに対処できるのになということが頭の中に本当によく出てきます。

自分は薬物を使ってもうまく生きれないということも今ならわかるので使いたいと思うことはありません。でも薬物を使っていないというだけでいろんな事を気にし過ぎ恐れ過度の不安や緊張を持ってしまうことや自分の中にある問題点や自己肯定感の低さや生きにくいなと感じてしまうところは薬物を使っていた時とほとんど変わらずにあるのが今の自分の実際のところであります。

では薬物を使う前の自分はどうしてたのだろうと考えてみたりもしましたがやはり同じような生きにくい部分はあり、本当の自分を知ろうとはせず人から自分からの見え方をよく見せようと必死で取り繕うことをし生きていたように思います。

以前の自分にはなく、今の自分にあってくれることというとNAやダルクと繋がり同じ様な問題点を抱えながらも薬物を使わない生き方を楽しく歩んでいる姿を見せてくれたりミーティングで話してくれたりする仲間がいてくれることです。

こういった自分の問題点や生きにくい部分をNAやステップの原理に沿って生き、うまく対処していけるようになれたらいいのになと思っています。

自分を支えてくれているものってなんだろうと思うと、なんだかんだ言っても温かい家族がいてくれ僕の回復を信じ応援してくれていることと、4年前に回復の人生が始まり出会わせてもらえた良き方々や木津川ダルク、NAの仲間が心の中にいつもどこか繋がっていてくれることが本当に大きくもう一度薬物に頼らないクリーンな自分で生き直してみようという勇気と力もいただけているように思います。繋がりを与えてもらえていること繋がっていてくださる方々がいてくださることに本当に感謝しています。

介護施設でのアルバイトでも仕事ができるように見せようともしない取り繕っていない正直なありのままの自分で一日一日を誠実に自分のやるべきことできることをしていき、人からどう思われるかというところや後のことはハイヤーパワーにゆだねていこうと思い祈り過ごしている日々です。

このような日々の過ごし方生き方もNAの仲間がミーティングで話してくれたことを自分に取り入れたことであります。そして今現在、介護施設でのアルバイトもなんとか4ヶ月が経ち週4日の1日5時間に増やしてもらうことができました。

自分の問題点なんかも配慮して少しずつトライさせてもらえている職場の方々に、そしていつも僕に道を示してくれるNAに繋がり出会うことのできたハイヤーパワーに感謝しています。

これからもNAやダルクの仲間のなかで粘り強く今日一日で回復の人生を歩んでいきたいです。出所して10ヶ月の自分にこのような原稿を書かせてもらえる機会を与えていただきありがとうございました。

えち