「命を救う」。私たちがその言葉を恐れてはいけない理由

福祉や支援の現場では、近年「支援者が利用者を『救う』と言うのはおこがましい」という議論があります。

「対等ではない」「上から目線だ」「本人の力を奪う」などなど。確かに、それらは一理あります。教科書的には正解なのでしょう。

しかし、あえて言わせて頂きます。

薬物依存症回復支援の現場において、「命を救う」という表現は、紛れもなく適切であり、必要な言葉です。

なぜなら、薬物依存症は「死に至る病」だからです。

孤立し、社会から排除され、自暴自棄になった当事者の行き着く先は、刑務所か、精神科病院か、あるいは死です。

オーバードーズ(アルコールも含む)で意識を失っている時、真冬の路上で行き場を失っている時、絶望して自ら命を絶とうとしている時。

そこで必要なのは「見守る」ことでも「エンパワメント」することでもありません。

まずは、物理的にその命を「死」の淵から引き戻すことです。

生きていなければ、回復はありません。

生きていなければ、自立も、反省も、やり直しもできません。

その「生きるための最低条件」が崩れ去ろうとしている時、私たちが手を伸ばして繋ぎ止める行為は、まぎれもなく「救命」です。

私たち支援者は、神様でも救世主でもありません。他者の人生をコントロールすることはできません。

しかし、溺れている人に浮き輪を投げることはできます。

冷たい社会の海で溺れかけている仲間に、「ここなら、とりあえず息ができるぞ」と場所を提供することはできます。

「救うなんておこがましい」と躊躇している間に、失われてしまう命があるのです。

だから私たちは、胸を張って言います。

私たちは、命を救っています。

回復という長い旅路は本人の足で歩むものですが、そのスタートラインに生きて立たせること。今日一日、回復の居場所を提供すること。それこそが、私たちの誇りであり、使命なのです。

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