喜びを仲間たちと分かち合って回復

はじめまして、薬物依存者のジュンペイです。

木津川ダルクに入所し回復プログラムに取り組みはじめて11月2日で9か月になります。

木津川ダルクを知ったきっかけは今回の事件でお世話になった弁護士さんの紹介です。前刑から一年と経たない中、覚醒剤を再使用しました。そのことを両親に打ち明け結局自首することとなり、その時に薬物依存者の治療やリカバリーに積極的に取り組まれている弁護士先生に紹介していただき入所することになりました。

薬物使用をするまでの経緯をお話しします。僕は両親や兄弟を含めた7人家族の中で育ちました。外から見ると一般的な家庭だったと思います。何不自由なく育ってきたように感じていましたが、いわゆる機能不全家族という家庭の中で育ってきました。食事はそれぞれがそれぞれのタイミングで食べており、会話もなく両親や兄弟と遊んでいた記憶もほとんどありません。気づいたら一人家族の団欒や暖かさを知らずに大きくなりました。知らず知らずのうちに他人に相談するという事をしなくなっていました。怒られないようにいつも周りの表情や顔色を気にして、大きな声や音がするとびくびくしながら過ごし、自分がここに居ていいのかわからない、そんなことを思い続ける日々を過ごしていました。

僕はセクシャルマイノリティなのですが小学校5年生ぐらいから自覚するようになりました。男らしさの押し付けや偏見、差別が怖かったので本当の自分を隠して周りと接するようにしていました。セクシャルマイノリティであることを自覚してから自分は世間一般とは違う、周りのみんなと違う、結婚して子供を作って親を喜ばすことが出来ない、役立たずな人間だと思い始めました。そして中学2~3年のときから居場所を求めて出会い系サイトにのめりこんでいきました。学校ではとりあえず友達を作り真面目に勉強や部活をし、親を安心させそのストレスや不安感を出会い系サイトで男性と出会うという行動を取ることで解消してました。高校~大学もそういった日々を過ごしました。自分のために生きていたのではなく、親の世間体を良く見せるために生きていました。

覚醒剤を使いはじめたのは23歳のころです。持病の関係で大学を1年遅れで卒業し、介護関係の職場で働き始めて半年ぐらいたった時に初めて使用しました。RUSHという同性愛者の間で流行っていた当時は合法だったドラッグを使ったことはありましたが違法薬物は初めてでした。なぜ使用したのかというと、インターネット等で気持ち良いSEXができると知ったからです。使いはじめた当初はこの世に無いような快感を味わえていたし、うまく使えていると思えていましたがそんな日々は長く続きませんでした。真面目にしていた仕事で手を抜くようになったし、自分勝手になって自分のミスを他人のせいにすることが増えていきました。介護施設の入居者に対しても傲慢で横柄な態度をとるようになっていました。会議などでは口先だけの綺麗な言葉を並べあたかも自分は立派でかっこいいと勘違いするようになり、スピリチュアル面が悪化し続けていたことに気づいていなかったのです。月1回くらいのペースで薬物を使い続けていたのですが、次第に仕事だけでなく友人に対しても自己中心的な言動をするようになり、覚醒剤を使うために友人との約束をドタキャンするようになったり友人の輪から自ら離れていったと思います。勤めていた介護施設は2年で辞め、国家資格を取るための専門学校に通い始めたのが26歳の頃です。親に色々な理由を言ってそのお金も出してもらいました。しかし本当は大阪市内に住んで覚醒剤がもっと身近にある環境で生活をしたかっただけでした。覚醒剤を使い続けながらも4年間勉強を続け国家資格を無事に取ることが出来ましたが、精神面やスピリチュアル面は悪化し続けました。

30歳で専門学校を卒業し働き始めて4か月ほどしてから1回目の逮捕をされました。仕事に行こうと思ったときに警察に囲まれ、母親の目の前で逮捕されました。その光景は今でも脳裏に焼き付いています。1回目だったので執行猶予を頂きました。裁判の情状をよくするためにダルクや精神病院、ミーティングに通うと約束したものの一切行かず自分の力だけで覚醒剤を止めてやる、と思っていました。もちろん覚醒剤への欲求は止まりませんでした。6か月ほど止まっていたのですが、仕事のストレスや家族や友人と過ごしていても消えない孤独感から覚醒剤を再使用しました。再使用後は使うのを止めれず毎週末使うようになりました。最後に使用した後、幻覚や幻聴が酷くなり親に再使用を打ち明けると警察への自首を促され、父親の車に乗せて行ってもらい出頭しました。執行猶予中の再犯なので刑務所に行くことは分かっていましたが、そうでもしないと覚醒剤を止めることができないと思っていました。2回目の逮捕で担当になって頂いた弁護士さんに精神科病院に入院後、木津川ダルクを紹介していただき入所することとなりました。

入所当初は心も開けずやる気満々ではなく、『仲間』と呼べる人はいなかったと思います。世間話は出来ても本音を話せる存在はいなかったし作ろうとしませんでした。自分はセクシャルマイノリティだし受け入れてくれなったらどうしようという怖さや不安な気持ちが強かったです。木津川の仲間たちと出会って感じたことですが、自分はここに居て良いんだ、という感覚が芽生えてきたことです。今まで仕事や住む場所、パートナーをとっかえひっかえしては自分の居場所を見つけ出そうとしてきましたが結局見つかりませんでした。覚醒剤を使ってSEXをしてもその瞬間の快楽はありましたが、居場所は見つかりませんでした。それが木津川に来て仲間と共に生活しプログラムを受け続けることで居場所が見つかりました。ミーティングやNAに出続けて半年くらい経ってから次第に自分自身のことを話せるようになった気がします。またその中で自分が薬物依存症であり覚醒剤を止めたい事を願っている事にも気づき始めました。木津川の仲間たちは自分以上に挫折をしたり悩んでいたりしていて、自分だけが悩んでいたのではなかったんだと思いました。

プログラムを実践して気づいたことはありのままの自分でいていいんだということ、そして覚醒剤を止め回復していくためには仲間の存在が必要なんだという事です。このプログラムに繋がる以前は覚醒剤の欲求と戦い打ち負かすことで薬物を止めれるんだ、と思っていました。自分が薬物依存症であることを認めることが出来ていなかったし、覚醒剤を使いたいなどとは誰にも言うことが出来ませんでした。しかしプログラムを実践していて感じたことは使いたいという欲求が出たときは正直に相談することができるしそれをフランクに聞いて笑い話にしてくれる仲間が居るという事に気づきました。そして薬物依存症は意志の力ではどうしようもならないということに気づき始めました。欲求が出てくるときもありますがそれでもその日一日使わずに生活をすることができています。今まではこれからのことやまだ起こってもいない未来のことに対して不安を抱くことが多かったのですが、『今日一日』という言葉を知ってからはその日一日、目の前のことに取り組んで行くことで自分と向き合うことが出来るようになってきたと思っています。

今はクリーンが続いてようやく9か月というところです。長かった裁判も10月に終わりました。残念ながら実刑判決となりこれから矯正施設に行くことが決まっているのですが、ネガティヴな感情はあまりありません。回復を分かち合ってきた仲間の存在があり、そしてこの仲間の輪の中に戻って来たいと強く願っているからです。また自分自身が回復しているかどうかの自信はありませんが、覚醒剤を使わずに生活をできている事、仲間と笑い合って生活を送ることが出来ています。小さいころからずっと孤独を感じて生きてきましたが、それも無くなってきているように感じています。好きな人に好きと言えるようになったし料理もできるようになったし、些細なことで楽しさを感じることが出来るようになりました。それは自分一人の力では絶対に出来なかったことだし、仲間の存在やサポートがあったからだと思っています。そうやって自分が変われてきたことに感謝の気持ちでいっぱいです。これからもこの喜びを仲間たちと分かち合って回復に取り組んで行きたいと思っています。

最後になりましたが楽しい時もしんどい時も仲間の輪の中で過ごしてクリーンを続けていくことができたらいいな、と思っています。ここまで読んでもらってありがとうございました。