ケンタロウの経験談

初めまして。依存症のケンタロウです。この施設に繋がって1年10か月になりました。クリーンタイムも同じく1年10か月になります。

覚醒剤をはじめて使用してしまうまでの経過とDARCに繋がり現在に至るまでのお話しをさせて頂きたいと思います。

自分が小学生だった頃は、活発で野球好きな少年でした。小学校2年生の頃から野球チームに所属し、中学1年生になるまで野球を続けていましたが、だんだんと思春期に入り、坊主頭が嫌になり、大好きだった野球を辞めてしまいました。

その頃から、不良友達と付き合うようなり、タバコ・パチンコ・シンナー等を覚えるようになって行きました。勉強は比較的出来た方だと感じており、高校入試も無事に合格し、全寮制の高校に進学する事となりました。高校では彼女にも恵まれましたが、学校を休んではパチンコに明け暮れる日々を送っていました。その結果、高校を中退することになってしまいましたが、当時の彼女に「高校だけは卒業しておいた方が良い」と言われ、別の高校に編入学をすることとなりました。高校をちゃんと卒業しようと決意し、入学したのですが、その高校で知り合った同級生に大麻を勧められてしまい、初めて大麻に手を出してしまいました。ですが自分には合っていなかったのか、大麻の連続使用に至ることはありませんでした。

高校を無事に卒業した後、無事に泉佐野市の某会社に就職することになりました。その会社には2~3年勤続していたのですが、高校時代の彼女との別れのせいもあり、ショックで労働意欲が湧かなくなり、退職することになりました。その頃、よく遊んでいた友人の先輩が覚醒剤を使用する人で、何度か覚醒剤を勧められましたが、「覚醒剤だけには手は出したらダメだ。」と思っていた自分は何度も断り続けていたのを覚えています。しかし、そんな日々は長くは続かず、ついに覚醒剤を使用してしまう日が来てしまったのです。これが20歳の時です。初めて覚醒剤を使用した時、2~3日眠れずにいたのを覚えています。次第に覚醒剤にハマって行ってしまうのです。最初は先輩からもらう覚醒剤で足りていたのですが、次第に使用する量が増えて行ってしまい、ついには自分で覚醒剤を密売人から購入するにまでなって行きました。そういう生活を5~6年続けていました。覚醒剤は使用していたものの、仕事だけは真面目にしており、その某会社で後に結婚することとなる、女性と出会うことになりました。

その女性の妊娠をきっかけに結婚することになり、初めて家庭を持つことになりました。その後、3人の子供にも恵まれ、計4人の子供と6人家族で生活をすることになるのですが、3人目の次男が生まれた後、人生で初めての逮捕を経験することになりました。初めての刑事裁判を経験し、判決は1年6か月の懲役・執行猶予3年の刑を言い渡されました。その後7年後には再び覚醒剤取締法違反の罪で逮捕され、初めての懲役・刑務所を経験することとなりました。1年2か月後に懲役刑を終え、社会復帰することになるのですが、再び覚醒剤の使用が始まり、この頃には毎日、朝・昼・晩と頻繁に使用する様な状態になっており、依存症という病気は悪化の一途を辿っていました。かろうじて離婚には至っていなかったものの、夫婦喧嘩は絶えず、常に覚醒剤のお金を段取りすることに追われていました。日常的に妻に嘘をついてお金を工面したり、消費者金融からの借金で覚醒剤を購入したり、最終的には覚醒剤の密売人から覚醒剤を奪い取るなど、とても正気とは思えない行動や言動を平気で繰り返していました。その後、ついに妻と覚醒剤のお金のことで大喧嘩にまで発展し、私は自宅を飛び出て、和歌山県の実家にて生活をするようになって行きました。そんな時、妻から離婚調停を家庭裁判所に申し立てられてしまい、養育費の未払い等の件で、私が勤めていた会社の給料を差し押さえられるまでになってしまいました。この件で、勤めていた会社には勤めづらくなり、退職を余儀なくされました。「どうにでもなれ」と自暴自棄に陥ってしまい、ますます覚醒剤の使用が止まりませんでした。そんな矢先、大阪市天王寺区まで覚醒剤を購入しに行った、その帰り道、コンビニの駐車場で覚醒剤を使用していたところ、巡回中の警察官に職務質問され、3度目の逮捕を経験することになってしまいました。当然、刑事裁判になりましたが、前回の逮捕から約9年半の期間が空いていたために、実刑は免れ、懲役2年6か月・執行猶予5年の判決をもらう事が出来ました。

当時、担当の弁護士からは「執行猶予を取れるかどうか、半々です。」と言われており、少しでも裁判の情状を良くするために、母親の勧めもあり、富田林市にあるY精神病院に任意入院をすることになりました。3か月間の入院生活を送り、その間に薬物依存症からの回復プログラム(条件反射制御法等)を受けてましたが、覚醒剤を止める気持ちは全くありませんでした。退院の日が近づく中、ある方の紹介もあり、群馬県にある藤岡DARCに入寮することになりました。入寮生活は自分にはかなり厳しいもので、毎日の生活がとても苦しかったのを覚えています。「ここでの生活は自分には無理だ」と、思った私は、友人に連絡をして迎えに来てもらい施設を脱走することを計画しました。友人の助けもあり、脱走計画は成功するのですが、母親のいる実家に戻るも、家には入れてもらえず、母親から「木津川DARCの加藤さんに連絡しなさい。」と言われました。私はDARCに行くのはとても嫌でしたが、行き場所もなく「懲役に行くよりマシだ。」と思い、母親と一緒に木津川DARCを訪問しました。加藤さんとの相談の結果、入寮することになりましたが、その時も覚醒剤を止める気持ちは全くありませんでした。

しかしこんな私にも転機が訪れます。入寮生活を送って半年が経過しようとしていた頃、「もしかしたら、こんな自分でも覚醒剤を止めることが出来るかもしれない。」と感じるようになってきました。現在、木津川DARCにお世話になって約1年10か月の月日が経過しました。この間、色々な仲間との出会いや別れを経験してきた訳ですが、仲間の中には自身の都合で施設を自主退寮して行き、無事にクリーンで過ごしてる仲間は非常に少なく、「自分も途中で退寮したらスリップしてしまうのかなぁ?」「今までの苦労を無駄にはしたくない。」と思う気持ちが強く、今日まで施設生活を頑張ってこれたように思います。現在の木津川DARCはお陰様でプログラムに前向きな仲間が多く、1日3回行っているミーティングも充実しており、薬物依存症からの回復を実践していくにはベストな施設だと思っています。そろそろ、就労プログラムに入るかどうかという時期に差し掛かっておりますが、特にやりたい仕事も見付かっていないのが現状で、将来何の仕事に就職しようか?と考えている、そんな時期でもあります。以前の自分では就労は愚か、断薬すら実現できませんでしたが、周囲にいてくれる仲間のおかげで、就労が現実的なものになろうとしています。

約1年10か月の間、薬物は止めることが出来ておりますが、決して自分には簡単な事ではありませんでした。止めたい日もあれば、使いたくて仕方のない日もありました。断薬はずっと止め続けることを考えてしまうと、とても辛く苦しいものになりがちですが、DARCに繋がり「今日だけ」という言葉を教えて頂きました。

何年・何十年先のことを思い悩むより、今日という一日に集中する。その積み重ねがやがて何か月・何年という単位のクリーンなっていきます。そのことをこれから先も忘れることなく、仲間と共に回復の道を歩んで行こうと思います。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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