はじめまして、エチと申します。
僕は約9年ほど前に木津川ダルクに入寮しお世話になっていた薬物依存症当事者メンバーです。
僕は薬物事犯により今までに二度逮捕されております。一度目の逮捕で執行猶予の判決をもらった時、担当だった弁護士さんより「ダルクというリハビリ施設があり、そういったところを利用するという方法もある」と説明を受けたことがあります。当時の自分には興味のないことですごく嫌な感じを出しながら「ああ、そうなんですね。自分はいいです」と返答したことを覚えています。この時、僕は薬をやめる必要はなく、むしろ自分の人生には覚せい剤とエリミンが必要だと思っていました。次に捕まれば刑務所だから逮捕だけはされないようにうまく薬を使い社会復帰し、人生を立て直そうと考えていました。なので弁護士さんよりダルクという施設があると話をされた時にはすごく嫌な思いをしたのだと思います。
執行猶予を貰った一度目の逮捕から一年後に二度目の逮捕をされました。執行猶予を貰った一度目の逮捕から一年間、バイトをして介護の学校に通って資格を取得し、就職活動をして人生なんとかしようと自分なりに必死にやってきました。毎日のように覚醒剤とエリミンを使いながらですが…。この時、自分ではそう思いたくなかったのですが、薬の効果に頼りきりで薬なしでは社会の中で対応していくことが出来なくなっていました。なんとか介護施設への就職が決まったのですがその時の面接も薬でキマっていないと受かる気もしないし、行動出来ないような自分でした。必死だったはずの一年間も、実際には毎日の薬の段取り。消費者金融、闇金、ヤクザからの借金利息、家族、親戚、友人にも嘘をつき傷つけ食い物にして金を用意するという一年間となり、本当に首の回らない状態でした。大切な人を傷つけて作ったお金でヤクザと売人にだけなんとか筋を通しているような状態でした。自分の人生は思う方向には行かず悪化していく一方でした。これで最後と信じてくれる家族を何度も騙し、お金を用意してもらい毎日の薬を段取り。なんとかたどり着いた介護施設の就職先も一か月もしない内に目先の金をパチンコや闇スロ等で作ろうと休みがちになり退職。身近な人、家族を大切にしたいのに傷つけ、自分の人生も何ひとつ良い方向に行っていない事に『なんで自分の思いと逆の結果ばかりになるのか』と自分自身への怒りでいっぱいでした。こんな状態の中『仕事の為だ』といつものように薬を段取りして、車で帰っていた時に職務質問をされ二度目の逮捕となりました。そして刑務所に何年か行かなければならない段階まで来て、薬を使って自分の人生を良い方向へ立て直そうと思っていた事が間違いだったと気付きました。刑務所に行くという現実を目の当たりにして、普通で良いので家族を裏切らないまともな人生を歩みたいと思いました。そうなる為には薬を止めないといけない、薬が自分の人生のジャマをしていたんだ自分は薬物依存症なんだとこの時初めて思いました。しかし、この時は何年か分からないが早く刑務所に行き、早く帰ってきて今度は薬無しでやり直すのだという思いでした。
拘置所で裁判を待っている時、母が色々と調べてくれて司法サポートや回復支援をしているNPO法人アパリの人と面会を勧められました。一日でも早く刑務所から帰ってきてやり直そうと考えていたので殆ど聞く耳を持っていなかった状態でしたが一応会ってみる事にしました。最初は「はい、はい」と淡々と受け流すように話を聞いていました。しかし最後の方で面会をして下さった方に「薬を使っていたからこそ上手くいった、上手くやれたって事もあったと思うのです」という言葉を言われました。『なぜ薬を使った事もない人にそんな事が分かるのだろう』と思い、もしかしたらこの人の勧めるように回復支援を受けながら司法サポートを受け裁判を進めていく流れが、確実に薬を止めていく事に繋がるのではないかと少し信じる事が出来ました。
そして、保釈中に条件反射制御法という薬物治療を行っている結のぞみ病院に入院する事になりました。条件反射制御法に疑似摂取というものがあります。これは氷砂糖や食塩を砕いたものを本物の覚醒剤に見立ててイメージをし、実際に吸引します。それぞれが実際に使っていた方法で摂取します。行動は薬を使っている時と一緒ですが、実際に摂取しているのは氷砂糖や塩なので何も効果は感じられません。この行動を繰り返し行う事で、今まで使っていた時の行動をしても何も変わらないし効果は得られないという事を体に馴染ませて薬物に対しての渇望を弱める治療法です。僕の場合は炙りだったのでパケに入れた氷砂糖をガラスパイプに入れて実際に炙って吸引する方法でした。最初はガラスパイプを見るだけで手が震え、疑似摂取をすると頭がスカッとし一瞬キマッたような感覚にもなりました。思った以上に自分自身の身体が反応する事に自分が薬物依存である事を認めざるを得ない感覚になったのを覚えています。入院中この疑似体験を繰り返していく事で、ガラスパイプを見たり氷砂糖を実際に炙り煙を吸い摂取する行動をしても薬への渇望が沸くことは少なくなっていったように感じます。
僕の場合は、モノを見た時やテレビ番組や覚醒剤でタレントが逮捕されたニュースを見た時反射的にやりたくなるような衝動的な渇望が弱くなったように思います。この時、僕のことを受け持ってくれていた弁護士さんのすすめもあり認知行動療法カウンセリングを定期的に受け、自分のどういったところが原因で薬物使用にまで至ったという事を見つめる時間も作りました。またNAという自助グループにも繋がりミーティングに参加するようになりました。裁判では保釈中にこういった薬物依存の治療を受け、カウンセリングやNAミーティングへの参加等の取り組みを上申書として提出。病院主治医、カウンセラー、家族が情報証人として立ってくれました。これらを認めてもらう事でなんとなんと執行猶予中の再犯ではまずあり得ない再度の執行猶予判決を一審で貰う事が出来たのです。このことは結果的には検察官控訴を受け、高裁では判決はひっくり返され実刑となるのですがこの控訴されてからの裁判期間を保釈でどうするかという事で当時病院にメッセージに来てくれていた当時の木津川ダルクの施設長に相談したところ「うちでやってみようか」と言って下さり、木津川ダルクでの生活が始まりました。
ダルクでの生活は一日三回のミーティング(内一回は夜のNAミーティング)と自炊・掃除、たまに入寮している仲間とどこかへ出掛けるという感じです。ダルクでの生活は薬を使わずに過ごす久しぶりの日常でした。仲間との共同生活やミーティングで、どうして自分には薬物が必要だったのか考えたり、使わなくても楽しむ事が出来る仲間と笑いあったり充実感を感じました。ダルクやNAには薬を使わずに普通に社会で過ごせている仲間・同じように保釈を受けプログラムを受けて刑務所に行き、帰ってきてからも薬を使わずに過ごせている仲間・もちろん再使用してしまう仲間もいました。同じ問題を抱えた仲間や乗り越えた仲間との出会いがありました。そして何より【今日だけ】という生き方を教わった事は大きかったです。
急な逮捕でヤクザに不義理をした事や、裁判の結果で自分は刑務所に行くのか行かないのか、出所してからの事、裏切り続けてきた家族にまだ心配をかけているという事、色々な心配と不安はありました。しかし、結局自分に今出来る事をやるしかないという事と、過去や先の事に捉われずに自分の回復の為に今日だけを生きるというのは無駄ではない事、今出来る事と少し先でないと出来ない事もあるという事も教えてもらいました。とりあえずは今日という日を薬を使わずに、今自分に出来る精一杯の事を誠実にやる、この事を続けていけば良い。何か神様のような偉大な力が良い方向へと導いてくれると信じられました。
楽しく過ごせる事も自分が抱えている全ての事もまず第一歩であると思い、毎日のミーティングとプログラムに取り組みました。
ダルク入寮中に印象的だったのは施設長の「僕達は自己の容認が出来ていなかったから薬を使い続け依存してしまう事になったんでしょ」という言葉と、職員さんと話している時の何気ない一言「人の中でしか回復はないからなぁ」という言葉でした。僕の中には「自分をどう人に見せたい、どう思われたい、自分はこんなものではない」といった自分が強くあり、自分の思い描いた自分じゃない自分を人に見せてしまった時にそこから湧き上がってくる感情を感じたくなかったですし感じるのが苦手でもうそのような感情は薬でスキップすることが習慣となっていました。薬を使う前からですが、「本当の自分を受け入れられずありのままの自分を知る事を恥じ、みっともなさを感じ、それを人に晒す事を恐れる」といったことが僕の中には本質的にあるんだと思います。どうにか人からの自分の見え方を変えようと本当の自分を隠すこと取り繕うこと違う自分を演じることに必死になっている自分でした。本当の自分を隠し取り繕うのにピッタリ補うことができたものがエリミンと覚醒剤でした。薬が効いていない時の自分の姿を鏡で見るのは嫌だったし、それは本当の自分ではないとさえ思っていました。この世の中に人間関係が無く、自分一人だけの世界だったらここまで覚醒剤とエリミンに依存していなかったかもしれません。それだけ僕は人の中で本当の自分を晒すのが苦手だということ、また薬を止め回復していくということは人の中で本当の自分の姿を見せていくことでもあるんだと施設長と職員さんに貰った言葉により気付かせてもらえました。裁判を進めながらの木津川ダルクでの生活は約一年となりました。裁判の結果は再度の執行猶予がひっくり返され2年8か月の実刑となりました。しかし、なんとか再度の執行猶予を守ろうと著名や嘆願書を書いてくれたNAの仲間や回復支援関係者、またダルク入寮中に薬物事犯で裁判中である事などを知りながらもボランティアで受け入れをして下さった介護施設の方々。いつも傍で僕も見ていたし見続けてくれていた木津川ダルクの仲間達。本当に沢山の良い出会いがありました。薬を止め久しぶりにシラフで生き直しを始めたばかりのありのままの自分を受け入れてくれる人がいるんだと感じさせてもらえたこと愛してくれた人がいてくれた経験というのは刑務所の中でも出所後の今の生活でもどこか大きな力を貰えています。
2回目の逮捕から保釈をすることになり病院での治療を受け1審で再度の執行猶予の判決をもらえ検察官控訴されて裁判期間を木津川ダルクで過ごせたことNAに繋がれたこと、そして判決がひっくり返り刑務所に行くことになったことは今になって思うと自分には必要なことだったんだと思っています。またこういった流れは自分の意志では選択できていなかったと思います。たまたま面会に来てくれた人の一言で保釈をして病院に行ってみようと思えた事、再度の執行猶予の判決があったからダルクに行ってみようと思えた事、そして実刑となり刑務所に行ったことすべては僕の回復にとってはこの方がいいよと神様が導いてくれたように感じています。
刑務所を出所してから社会での生活をして、現在はなんとか5年になります。出所後はダルクにも繋がりながらNAミーティングに参加し介護施設で仕事をしています。仕事をする時もいつも薬を使っていた僕にとっては薬を使わずに仕事をし、いろんな人間関係の中社会の人の中で生きていくことは想像以上に大変なことでした。最初は本当に職場の人が恐かったですしパニックと妄想が激しく出て何もできない自分を本当にみっともなく感じその場から逃げ出したくなるような日々でした。毎日のように「すいませんけどやめさしてもらいます」と言おう、「いや生き直していく人生や、もう一日だけがんばってみよう」というような日々でした。この時も『今日だけ』の生き方を思い出しながら今日一日、薬を使っていない自分で精一杯やろう、きっとこの一日はこの先の自分のためになると信じて過ごしていました。この時も木津川ダルクやNAの仲間とのつながりを感じ、もしだめでも自分にはやり直せる場所があると思えることで少しだけ軽い気持ちで次の日になんとか挑めていた気がします。そんな毎日をなんとか積み重ね5年同じ職場で働くことができています。5年経った今この原稿を書いている次の日も仕事なのですが、明日、また薬を使っていない等身大の自分で一日を過ごし見せたくない自分を人に晒すことになるかもしれません。そこから自分はどういう感情になるのか人間関係に不安を抱くことになるのかとか不安や恐れがいっぱいで薬を使い補い過ごしていた場面とシラフで向き合っていく毎日です。出所後よりはかなりましですが今でも次の日に身構える感覚や不安などは変わらずあります。そんな同じような毎日でもいいことのある日ももちろんあり、振り返ってみると結構人生いい方向に向かえていると感じていることも事実です。出所後5年間NAに足を運び仲間とのつながりのなか『今日だけ』を精一杯生きていくこの方法は僕の中で信じられるものになっています。自分とつながってくれている人を今度は大切にしていける自分でいたいです。無理せず楽しく自分らしく、仲間と共に、今日だけ、これからもいろんな方々につないでもらった回復の人生を大切に生きていきます。
今回、原稿を書かせていただく機会を与えていただいたことに感謝しています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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