初めまして。依存性のユウヤです。
木津川ダルクに繋がって、約1年になります。
僕は主に咳止め、処方薬に問題があります。
その他にもネット依存、買い物依存がありますが、今回はなぜ薬物を使用するようになったのか、僕の過去の話しをしていきたいと思います。
僕は幼い頃から、現実で友達と呼べる人はいませんでした。クラスではずっとひとりぼっちでした。常にそこには寂しさの感情がありました。話したいけど自分から話しかける勇気もなく、頼るのはネットの顔も分からない人達でした。ネットこそが僕の青春でした。中学生になり、僕の現実逃避は加速していきました。たまたまネットで顔出し配信すると、以外にも見てくれる人がいて、僕の寂しさはなくなっていき現実世界よりネット世界が優先だと思いながら日々パソコンの前にいました。だけど、そう長くは続きませんでした。高校生の時からです。ほぼ毎日顔出し配信してたのですが、段々と人気がなくなっていきました。
僕はリスナーが離れていくのが嫌で、どうしたらいいのか考えた結果、過激なことをしてリスナーを増やそうと思い当時通ってた病院の処方薬を、見てくれているリスナーの前でオーバードウズをしました。かなり反響があり、僕は味をしめ、それからもっと人気になりたくて薬の量を増やしたり未成年飲酒したり他の配信者を貶したりしてました。その頃からSNSも同時にやるようになりました。病み垢、メンヘラ垢から咳止めを知り、SNSでも寂しさを紛らわす為と人気を獲る為に使うようになりました。中学、高校は友達と呼べる人はいないけどネットの世界には構ってくれる人がいて当時は幸せだったと思います。薬だって人気になる為の道具なので、すぐに辞めれるものだと思っていました。2~3年過激な配信を続けていると僕自身ネタが尽きてきますし、配信にも飽きてきます。どうやって引退するか考えた結果、自殺配信を選びました。元々高校卒業したら自殺する予定でした。引きこもりで友達のいない僕なんかが彼女を作ったり家庭を持ったり普通に仕事をしたり、ちゃんと生きていける自信もなく将来に絶望していました。大人になるのが怖くて自分には死の選択肢しかないと思っていたからです。最後に皆んなに構ってもらえて死ねるなんて最高だと思い、タイトルに自殺配信とつけていざ配信しました。どこから情報が漏れたのか分かりませんが、各掲示板の人達と興味本位の野次馬が集まりました。全く思ってたのと違いました。僕の頭の中では自殺を止める人達でコメントが溢れかえるもんだと思っていましたが、現実は「早く飛び降りろ」、「いつ死ぬの?」とか自殺を急かすコメントがほとんどでした。思っていた理想の答えと違う。僕は急に死ぬのが怖くなりました。もう目の前の現実を見たくない、でもここで死なないとこの先人生真っ暗になる。しばらくの間、葛藤に襲われながらも、なんとか配信機材を地面に叩きつけて、物理的に配信を終わらせました。その時はもう一生配信もしない、処方薬も止める、ネットも見ない、そう思ってたのですが1週間で約束を破りました。その頃の僕はやっぱりネットでしか生きられないと思ったからです。
今振り返れば、周りの大人達に相談していれば何かしら変わってたと思います。でも当時の僕は周りの大人、同級生は敵に見えてました。僕は悪くない、僕の人生がおかしくなったのは周りのせい。そう思いながら僕はまたパソコンの前に居座る生活を続けました。顔出し配信は失敗したから今度はSNSを中心に活動しようと思いました。病み垢の人達と打ち解けるのはとても簡単でした。ネガティブな事を呟けば必ず反響があり、寂しいと呟けば必ず返信が返ってくる。僕の新しい居場所ができたと思った瞬間です。その頃から僕には神様と呼べる人ができました。その神様は咳止めを使いながらも、歌を歌ったりギターを弾いたり、外見も良くてファッションセンスも良い。たくさんのファンから支持を得ていて、当時僕から見ても輝いて見えていました。この人のようになりたい。そう思い、必死に自分の信者を集めるために、自撮りを毎日投稿したり、咳止めタワーを投稿したり、カッコイイこと呟いたり、出来ることは何でもしました。
結果、自分の信者はかなりの数になりました。現実世界ではモテたことはないけど、ネットの中ではモテモテでした。かなり調子に乗ってたと思います。複数人彼女はいて当たり前、貢いでもらうのも当たり前、構ってくれないとすぐ別れるし飽きたら別れる。王様になった気分でした。ただ、病み垢で寄ってくる人達は僕と似ている人が多いです。みんな心が病んでます。少し揉めたり、彼女と別れたりすると殺害予告がダイレクトメッセージで届きます。知らない人からもたまに届きます。タイムラインも病んでるツイートかポエムか加工しすぎの自撮り。画像は咳止めか大量の処方薬、自傷行為の写真で埋まっていきます。たまに見るのがしんどくなり、それを見て死にたくなることが多くなっていきました。複数の自殺垢にダイレクトメッセージを送り、集団自殺を計画したこともあります。
この時点で、僕は現実世界を捨てていたのだと思います。皆んなが薬を使っている安心感。いつでも一緒に死んでくれる人がいる安心感。自分だけじゃない。
しばらくの間はネットの世界で生きていました。構って欲しくて、手の甲に根性焼きをして写真を撮ってツイートしようとしていたところを家族に見られて、精神科病棟に入れられたこともあります。
25歳までずっと現実世界を捨てた生活をしていました。一時期はこのままではダメだと思い、アルバイトをしたり親のコネで会社に勤めり、就労移行支援に通っていましたが、どれも長続きはしませんでした。人間関係に辛くなれば薬とSNSを使い現実逃避。死にたくなったら薬とSNSと自傷行為。
生きているけど、現実世界では生きていない。居場所がなくなれば死ねばいい。死んだら楽になる。助かる。そう考えるようになっていきました。
ある日突然、親に木津川ダルクに連れてこられました。何も分からないまま連れてこられたので、何をするところなのかも分からないし、何をすればいいのか分かりませんでした。その時僕は、親に捨てられたんだなと思いました。
しばらく生活しましたが、馴染むことはなく1人で行動することが多かったです。1月から3月までは仲間としょっちゅうトラブルを起こしました。ダルクで1度、自殺未遂も経験しました。ここでの生活はできないと思い飛び出る計画を立ててた時期もありました。そして何度も仲間から怒られました。僕が木津川ダルクで変わりたい、ここでやっていくと決心したのは4月頃でした。
何百回も仲間に迷惑かけたり、何十回も裏切ったり、何回もスリップしたのにそれでも僕を怒ってくれたり、心配してくれる仲間がいたり、助けてくれる仲間がいたりと怖くなるぐらい皆んな優しいです。そして、自分1人では生きていけないことに気づきました。たまに病気がでて引きこもりたくなる時があります。コミュニケーションが下手くそで会話のドッジボールになる時もあります。
全て自分1人で抱え込んで、1人で全て解決しようとすることもあります。そうした自分の欠点を気づかしてくれるのが今の仲間達です。
つい最近になって、木津川ダルクに繋がれて良かったと思うようになりました。
もし、繋がってなければ僕は今頃、現実世界にもネットの世界にもいなかったと思います。
少し長くなりましたが、僕の話しはこれで終わりにします。ここまで読んでくださりありがとうございました。
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